『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』21世紀のアメリカ映画を背負うジェームズ・マンゴールド監督、その深層にある“作家性”【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』21世紀のアメリカ映画を背負うジェームズ・マンゴールド監督、その深層にある“作家性”【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の日本公開タイミングでのジェームズ・マンゴールド監督へのインタビューで、ボブ・ディランという難役を完璧に演じきったティモシー・シャラメについての質問をここまでしていないインタビューは他にないだろう(最後に一つだけした質問への答えで、ティモシー・シャラメという稀代の役者の偉大さを一言で言い表してくれた)。それは、取りも直さず、マンゴールドには訊きたいことがあまりにもたくさんあったからだ。そして、すべての質問にマンゴールドは芯を食った答えで返してくれた。来日プロモーション中の対面取材の常で、インタビュー時間は限られたものだったが、本インタビュー連載のタイトルである「映画のことは監督に訊け」の名に恥じない内容になっていると思う。

ティモシー・シャラメが1960年代初頭、無名のボブ・ディランがスターになるまでを描いた『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は公開中
ティモシー・シャラメが1960年代初頭、無名のボブ・ディランがスターになるまでを描いた『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は公開中[c]2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

優れた表現者は同じテーマを異なる手法や異なる角度で語り続ける――というのは、映画監督に限らず、画家や小説家から音楽家まであらゆるフォーマットの表現者の多くに当てはまる一つの定説だが、マンゴールドもまたその一人であることがこのインタビューで明らかになったのではないだろうか。マンゴールドについて語る際に欠かせないのは、彼が脚本家としてキャリアをスタートさせた監督であること。そして、商業的にも批評的にも大成功を収めた2017年の『LOGAN/ローガン』以降は、すべての監督作品で(共同)脚本を手掛けているということ。彼はハリウッドのメジャースタジオでエンターテインメント大作を手掛け続けている監督としては非常に珍しい生粋のライター・ディレクターなのだ。

『LOGAN/ローガン』(17)、『フォードvsフェラーリ』(19)、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(23)、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』、そして既に着手していると言われているスター・ウォーズの新トリロジー。改めてこうして近作と準備作を並べてみると、スーパーヒーロー映画からスティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスの遺産まで、彼の背中に乗ったアメリカ映画界からの期待の「重さ」にたじろいでしまうが、本人と会話をすると、その大らかで自信に溢れた姿勢と鋭利かつ深い知性を持ってすれば、どんな難題でも乗り越えていくのではないかと思えてしまう。あの気難しいことで知られるディランが『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を賞賛し、それどころかディランをよく知る多くの音楽関係者や口うるさいファンも作品の虜にしてしまったことだって、よく考えたら奇跡のような出来事なのだ。アメリカ映画の現状については不安なことだらけだが、そこにマンゴールドがいる限り、まだ未来への道は開けているのかもしれない。

「映画の流れが一旦止まって、それから歌が始まる、みたいな作品ではないんです。歌の中にもシーンと同じくらいのドラマがあります」(マンゴールド)

【写真を見る】ジャパンプレミアに合わせて来日したジェームズ・マンゴールド監督が登場
【写真を見る】ジャパンプレミアに合わせて来日したジェームズ・マンゴールド監督が登場撮影/黒羽政士

――『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』、あなたの作品のファンとしてまるで夢のような2時間21分でした。そして、2時間21分もあるとは信じられないほど体感としてあっという間でした。それは、脚本や編集の巧みさによるものでもあると思うのですが、作品の構成やペース配分、それを観客がどのように感じるかについて、どのくらい意識してるのでしょうか?

ジェームズ・マンゴールド(以下、マンゴールド)「いつもそのことばかり考えています。私にとって自分の作品は、なによりも自分が観たいと思えるもの、そして自分が望んでいるペースの中で存在しているわけですが、それと同時に観客がなにを求めているのか、そして観客が映画の流れを理解しやすくするためになにが必要なのかについても常に意識しています。時には、観客が必要以上に長く感じるシーンやショットをスクリーンで観ることになるでしょう。でも、それは私がそのシーンやショットに観客が汲み取るべき重要なものを映しているからです。つまり、映画とは会話のようなものなんです。その相手と話をすると決めたなら、そこで伝えるべき重要なポイントが出てきます。その時は、その要点についてしっかり話します。この作品に関して言えば、音楽が映画の一部になっています。単にドラマがあって、次に音楽があって、またドラマがあるというものではなく、人々が話し、歌う、その両方で観客との対話が成り立っています。映画の流れが一旦止まって、それから歌が始まる、みたいな作品ではないんです。歌の中にもシーンと同じくらいのドラマがあります。この映画では、音楽そのものが作品の中の一つの重要なシーンなのです」

――だからこそ、曲によっては1コーラスだけだったりするんですね。「もっと聴かせて!」と思う反面、その思い切りの良さが作品のリズムになっていたと思います。

マンゴールド「そう。フルコーラスで撮っているシーンも多いのですが、それを編集しないと映画が3時間になってしまいますからね(笑)」

ジョーン・バエズとディランはアーティストとして共鳴し、やがて恋愛関係になる
ジョーン・バエズとディランはアーティストとして共鳴し、やがて恋愛関係になる[c]2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

――とりわけ自分が興奮したのは、音楽のシーンに入る前の演出と編集でした。ドラマのシーンが進行している途中で音楽が流れてきて、それが次の音楽のシーンにつながっていく。つまり、音楽だけで次のシーンの予告をする手法がとられているので、それがボブ・ディランが部屋で作曲をしてるシーンなのか、スタジオで録音してるシーンなのか、ライブパフォーマンスをしてるシーンなのか、実際にシーンが変わるまではわからない。それによってスクリーンに目が釘付けとなり、熱心に耳を澄ましてしまうのです。

マンゴールド「そこに気づいてくれてうれしいです。この映画ではシーンのすべてが、単にいま起こっていることだけではなく、その先に続くなにかを示しているのです。それぞれのシーンにそうした相互補完的な役割を持たせることで、映画の中でまさになにかが生まれる瞬間を見ているような感覚を観客に与えようとしたのです。まるで花が開いていく過程を見守るようなものですね。花というのは、完全に咲いた花ではなく、つぼみがほころび始める瞬間こそが重要なのです」

ジェームズ・マンゴールド監督
撮影/黒羽政士

――『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』はボブ・ディランの実人生、イライジャ・ウォルドによる評伝“Dylan Goes Elctric!”(『ボブ・ディラン 裏切りの夏』)が物語の土台となっているわけですが、やはり架空の人物が主人公の映画、例えば『LOGAN/ローガン』や『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』のような作品とは脚本のアプローチの仕方はまったく違うものなのでしょうか? 

マンゴールド「私にとっては、その2つの違いを考えるよりも、共通点を考えるほうが簡単です。というのも、映画作りにおいてはほとんどすべての作品に共通することの方が多いからです。どんな映画を作るにしても、私たちはその題材から物語を見つけるところから始めなくてはなりません。インディ・ジョーンズが主人公であっても、ボブ・ディランが主人公であっても、作品を観て『そんなことはありえない!』と言う人が出てくるのは同じなんですよ」

 ニューポート・フォーク・フェスティバルを完全再現したライブシーンも大きな見どころ
ニューポート・フォーク・フェスティバルを完全再現したライブシーンも大きな見どころ[c]2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

――確かに(笑)。でも、ボブ・ディランのように世界中でよく知られている人物、多くの本が書かれてきた人物を題材にするのには、特別な難しさがあったんじゃないですか?

マンゴールド「私が初めて監督した『君に逢いたくて』は実話に基づいた作品でしたが、小さな町にあるピザ屋で働く、世間では誰からも知られていない人たちの物語でした。私だけでなく、映画監督や脚本家が語り手として作る物語の多くは、小さな町のピザ屋の話であれ、世界で最も有名な考古学教授の話であれ、現実の世界での出来事をベースにしています。ただ、ご指摘の通り、歴史的な人物や出来事を扱う際はその複雑さが少し増しますね。でも、私がとても興味深いと感じるのは、歴史的な人物や出来事を題材にして映画を作るとき、脚本を書くために必要な調査やリサーチをしていくと、まだ知られていない側面が次々と見えてくることです。多くの伝記作家やウィキペディアの記事を書く人たちは、日付や出来事といった具体的な事実や数字に焦点を当てますが、本当に興味深いのは、その背後にある複雑な人物像や人間関係です。例えば、人々がより速いレーシングカーを作る瞬間や、すばらしい楽曲を書く瞬間には、まだ解明されていない多くの要素が存在するのです」


宇野維正の「映画のことは監督に訊け」

関連作品