リウ・シャオチン
西太后
19世紀の中国で絶大な権力を握っていた女帝・西太后の数奇な半生を描く。製作総指揮は趙偉(チェオ・ウェイ)、製作は勝洪升(トン・ホン・ドウ)と呉平川(ウー・ピン・チュアン)、監督は李翰祥(リー・ハンシャン)、脚本は楊村淋(ヤン・シン・ピン)、撮影は楊林(ヤン・リン)と湯姆森(タン・ムー・セン)、音楽は葉純文(イエ・チェン・ジ)、美術は宋洪栄(ソン・ホン・ロン)、衣裳は趙茹華(チャン・ルー・ロン)が担当。日本版ナレーション台本はたかしまちえこ。「火焼円明園」と「垂簾聴政」の2作品を1本にまとめた国際版が劇場公開された。
1850年、中国。咸豊帝(梁家輝=レオン・カーフェイ)が清朝第九代皇帝の座についた。側室として宮廷入りした玉蘭、後の西太后(劉暁慶=リュウ・シャオチン)は才色兼備、若い娘に不似合な欲望を秘めていた。やがて咸豊帝の寵愛を得、帝の世継ぎ・載淳を産むに至って権力中枢への階段を昇り始めた。その頃、清朝は内に太平天国の乱、外の英仏連合軍の攻撃侵略という難題をかかえ内憂外患の局面を迎えていた。英仏軍の激しい攻撃をさけて、咸豊帝は北京を離れ離宮に移った。皇室全員もそれに従ったが、西太后は帝の実弟・恭親王(張鐵林=チャン・ティエ・リン)と手を結び権力拡大をはかり、帝の正妻・東太后(チェン・イエ)や粛淳(項坤=シャン・クン)ら八人の重臣と対峙していた。一方、北京では英仏軍の侵略はいよいよ猛威をふるい、彼らは広大な円明園を焼き払った。離宮では帝の死によって権力闘争がますますエスカレートし、西太后は帝の遺体を北京に運ぶことによって再び帝都に帰還することを主張、我が子・載淳の戴位ももくろんだ。北京到着直後、西太后は恭親王の兵士たちに八人を逮捕させ牢獄にぶち込んだ。粛順は民衆の眼前で極刑、残る七人もそれぞれの刑で粛清した。その他、生前の帝が愛した麗妃(周潔=チョウ・チェ)を両手を斬り落とした上、大きな水ガメに詰め込んだ。かくて、西太后の敵はことごとく消え、わずか六歳の載淳が清の第十代皇帝同治帝を即位する。そして簾の向う側に東太后と西太后が控え、清朝を操りはじめた。が、東太后は無力だ。西太后はその野望ゆえに東太后をも毒殺し、我が子同治帝までも謀殺した。
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