ヘルムート・バーガー
Ludwig
時代は19世紀、若くしてバイエルンの国王となったルードウィヒが国家から退位を強いられ40歳で謎の死をとげるまでの狂気ともいえる孤独な半生を描く。製作総指揮はロバート・ゴードン・エドワーズ、製作はルチオ・トレンティーニ、監督は「イノセント」のルキノ・ヴィスコンティ、脚本・原案はヴィスコンティ、エンリコ・メディオーリとスーゾ・チェッキ・ダミーコ、撮影はアルマンド・ナンヌッツィ、音楽はリヒャルト・ワグナー、ロべルト・シューマンとジャック・オッフェンバックのオリジナルをフランコ・マンニーノが演奏、編集はルッジェーロ・マストロヤンニ、美術はマリオ・キアーリとマリオ・シッシ、衣裳はピエロ・トージが各々担当。出演はヘルムート・バーガー、ロミー・シュナイダー、トレヴァー・ハワード、シルヴァーナ・マンガーノ、ゲルト・フレーベ、ヘルムート・グリーム、イザベラ・テレジンスカ、ウンベルト・オルシーニ、ジョン・モルダー・ブラウン、ソニア・ぺトロヴァ、フォルカー・ボーネット、ハインツ・モーグ、アドリアーナ・アスティ、マルク・ポレルなど。
1864年、18歳のルードウィヒ(ヘルムート・バーガー)は、父の後を継いでバイエルンの国王となった。ミュンヘンの城での戴冠式は、盛大に行なわれ、若い繊細な心を持った王が誕生した。ルードウィヒは、オーストリア皇帝の妃である従姉のエリザベート(ロミー・シュナイダー)を慕っており、公的な生活から解放されると、エリザベートと共に、野山を馬で走り、音楽や詩について語り合った。彼はまた、作曲家リヒャルト・ワグナー(トレヴァー・ハワード)に心酔しており、彼のパトロンとなって莫大な費用をかけ、歌劇“トリスタンとイゾルデ”の上演を実現させたりした。このルードウィヒのワグナーへの財政的援助は、しかし、人々の非難を呼びおこしていた。この現実逃避に傾斜してゆくルードウィヒの心を誰よりも見ぬいているのはエリザべートだった。彼女は、ルードウィヒが彼女を慕っていることも承知で、自分の妹ソフィー(ソニア・ぺトロヴァ)を婚約者として彼に勤めた。1866年、プロイセンとオーストリアとの兄弟戦争で、オーストリアの盟友としての参戦を拒んだルードウィヒは、戦場に赴かず、べルクの城にこもっていた。弟のオットー王子(ジョン・モルダー・ブラウン)は、戦場から焦悴しきって戻って来た。そして、忠実な臣下デュルクハイム大佐は(ヘルムート・グリーム)は、気ままな生活をおくるルードウィヒに現実の辛さを説くのだった。それから間もなくソフィーとの婚約を受け入れたルードウィヒは、しかし、すでにエリザべート以外の女性ヘの興昧は失せており、むしろ、美しい青年に心惹かれだしていた。結局はソフィーとの婚約は解消した。そのころ、ビスマルクが提唱していた“大ドイツ統一”が実現することになり、バイエルン王国もそれに加盟することを余儀なくされた。オットー王子が精神に異常をきたすなど辛いことが重なっていたルードウィヒとはうらはらに、かねてから噂になっていた、リストの娘でワグナーのお抱え指揮者の妻であったコジマ(シルヴァーナ・マンガーノ)を夫人に迎えていたワグナーはコジマの誕生パーティを祝ったり、二人の間の子ともども幸せな生活を送っていた。今やルードウィヒに残されたものは、莫大な国財で造らせた三つの城だけだった。孤独にさいなまれた彼はウィーンから役者を招いて、城に造った洞窟で日夜詩を暗誦させたりしていた。この荒んだ王の生活を見かねた有力な貴族たちは、会議を開き、国王廃位を計った。査問委員会を設け、国王に近しい臣下たちから“ご乱心”を立証する証言をひきだし、精神科医グッデン(ハインツ・モーグ)が偏執狂と診断した。ルードウィヒはノイシュヴァンシュタインを追われ、べルクの城で幽閉生活を強いられた。ある日、グッデンを供に連れて庭園の散歩に出かけたルードウィヒは、その夜、湖で溺死体となって発見された。1886年のことである。グッデンを道連れにした自殺だと言われているが、その真相は明らかにされていない。
Ludwig
Elisabetta d'Austria
Riccardo Wagner
Cosina Von Bulow
Padre Hoffman
Durcheim
La Regina Madre
Conte Von Holnstein
Ilpincipe Otto
Sofia
Joseph Kainz
Ilprofessor Gudden
Lila von Buliowski
Richard Horning
Contessa Ida Ferenczy
Hans Von Bulow
Hans Von Bulow
監督、脚本、原案
脚本、原案
脚本、原案
製作
製作総指揮
撮影
音楽
音楽
音楽
美術
美術
編集
衣装デザイン
音楽演奏
字幕監修