マイケル・エルフィック
Fisher
腐敗と倦怠に包まれた20世紀末のヨーロッパを舞台に、一人の警部が犯罪を追っていく夢とも現実ともつかない作品。ボルヘスの一連の小説や、ロブ・グリエの『消しゴム』を彷彿とさせる。製作はペア・ホルスト。監督・脚本はこの作品が長編デビューのラース・フォン・トリアー。共同脚本にニルス・ヴェーセル。撮影はトム・エリング、音楽はボー・ホルテンが担当。出演はマイケル・エルフィック、エズモンド・ナイトほか。一九八四年カンヌ国際映画祭高等技術委員賞受賞。
殺人事件を担当する警部フィッシャー(マイケル・エルフィック)はヨーロッパでの捜査を終えてカイロに戻っていたが、その時の精神的ショックがひどく精神科医の治療を受けることになった。催眠状態の中で彼はヨーロッパへ舞い戻る……。フィッシャーは、今は引退している警察学校の恩師オズボーン(エズモンド・ナイト)を訪ねる。彼の著作『犯罪の原理(エレメント・オブ・クライム)』は、フィッシャーの哲学の中核をなすほどだが、オズボーン自身は今や激しく否定していた。フィッシャーは“ロット殺人事件”と呼ばれる猟奇的な少女連続殺人事件を、警察署長クレイマー(ジェロルド・ウェルズ)の指揮のもと担当する。彼は、オズボーンが以前この事件を担当し、殺人をハリー・グレイという男と結びつけていたことを知り、再びオズボーンの家を訪ねる。たがオズボーンは取りつかれたようにグレイはもういない、と主張するのみだった。フィッシャーは、『犯罪の原理』に従い、犯罪をその発端から理解し、解決しようとする。娼婦キム(ミー・ミー・レイ)の助けをかり、事件の仕組みが明らかになるにつれ、フィッシャーはいつしか自分も殺人事件に巻き込まれたことに気づく。ハリー・グレイはもはや存在せず、オズボーンが自ら殺人を犯したと告白し首を吊って自殺していた。彼はあまりにも犯罪者の心理を想定するのにたけていたので、グレイが死んだ時、殺人計画を自分の手で完結させたいという思いを抑えきれなかったのだ。そして悲劇的なまでに皮肉なのは、フィッシャーもまた同じ手法を用いたことだった。
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