トン・デュ・コフ
Rembrandt
17世紀のオランダを舞台に、その時代を生きた画家レンブラントの半生を描く。製作・監督・脚本は「イリュージョニスト」のジョス・ステリング、共同脚本はウル・ヒルダブランド、撮影はエルネスト・ブレザー、音楽はローレンス・ファン・ローエンが担当。出演はフランツ・ステリング、トン・デュ・コフほか。
1606年、オランダのレイデンに生まれたレンブラント(フランツ・ステリング)は、25歳の時画家としてヘンドリック・ファン・アイレンボルフの工房に寄寓し、その最初の仕事は「ニコラス・トゥルプ教授の解剖学講義」だった。これが大いにうけ以後仕事の依頼が殺到した彼は39年、レーワルデン市長の娘サスキア・ファン・アイレンボルフと結婚するが、彼女は42年、一人息子のティタスを遺し世を去った。そして彼女の遺言の中の、夫が再婚した場合は財産の半分は姉に譲る、という一文が不幸を招くことになった。家政婦兼乳母として雇い入れたヘールトヘ・ディクルスは、やがて彼の愛人になるが、婚約不履行の訴訟を起こし、扶養料を支払わせる判決を得る。さらにヘールトヘに代わってレンブラント家にやってきたヘンドリッキェ・ストッフェルスもまた彼とは結婚できず、妊娠すると再三宗教会議から召換をうけた。56年、アムステルダムの審査会はレンブラントの破産を公表、60年ティタスとヘンドリッキェは、レンブラントのコレクションを扱う美術商の協同経営者となり、彼を債権者の手から解放した。62年、ヘンドリッキェが死に内省的になったレンブラント(トン・デュ・コフ)は、68年、ティタスの死によって最後の打撃をうける。そして彼は自分の姿の記録を完成させるため、円熱した力のすべてを込めて最後の自画像を描くのだった。
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