ナレーション
世界最初のシネマスコープ長篇記録映画。一九五五年カンヌ映画祭で特別賞を受けている。“失われた大陸”とは、かつて一大陸だったと推定される東南アジアの幾千の島々を意味する。製作は「緑の魔境」のレオナルド・ボンツィが担当し、一九五三年夏から一部スタッフと共に東南ア各地を旅行して準備を進め、五四年二月撮影開始、翌五五年初頭に完成した。レオナルド・ボンツィ自ら探険隊の指導をとり、撮影監督は「緑の魔境」のマリオ・クラヴェーリ、キャメラマンはジャンニ・ラファルディとフランコ・べルネッティの二名、技術監督はエンリコ・グラスとジョルジョ・モーゼル、音楽は「緑の魔境」のフランチェスコ・ラヴァニーノが夫々担当した。日本語解説は、藤倉修一と七尾伶子。フェラニアカラーによる一九五五年作品。なお撮影のクラヴェーリと音楽のラヴァニーノは、一九五五年七月、伊映画記者協会から“銀リボン賞”を得た。
ストーリー
“失われた大陸”の旅は先ずアジア大陸南海岸のホンコンに始まった。ここには伝説的な世界の残骸しかなかったが、水上生活者たちの結婚式には、一瞬、古代中国の精神の閃めきが感じられる。ここで探険隊員七名と通訳のロメロは帆船コタ・メジル号に乗り組み、南下した。隊員はタイ国の寺院を訪れ、見習いの尼僧が、“修道の誓い”をたてる儀式に列した。ジャワ島、バリー島を始めとする“幸福の島々”は、太古の火山爆発で出来たもので、今なお震動を続けている。これらの島々の財産は稲田だが、ここには純潔な処女や小児だけ入ることができる。彼等にとって稲田は寺院と同じく神聖であり、労働は儀式となってくる。島の人々は巡礼となって噴火口に登り、“火の神”に生贄を捧げる。稲は成長し、子供達にとって稲を狙う悪者を鳴子で追い払うのが役目となる。やがて収穫感謝の行事が始まり、島の若者たちは飾りたてた牡牛を馭して村同志の対抗競争や“鋤の競争”をする。九歳の巫女の“レゴーン”の踊り。これも神に捧げる儀式の一つである。寺院の境内では“神聖な角力”や闘鶏が始まり、かくして収穫祭は楽園の生活を祝い続ける。探険隊は再びコタ・メジル号に乗り、スンダ陸棚の漁民を訪れた。漁夫が沖に出ている間、女たちは海の平穏を祈って浜べに供え物を捧げ、事故で死んだ漁夫には死後のよりよい生活を信じて、陽気な儀式で火葬にする。やがて陸地にキャンプを張った隊員は、マフート族の集落で象を捕える光景を目撃した。次にボルネオ島へ船を向けた一行は、モーターつきの小舟で河をさかのぼり、サラワクの奥地に首狩り人種ダヤク族を訪れた。八日の後、やっと目的地に到着した。彼等は案外親切で一力月の滞在も賓客として待遇された。隊員はこの間に、彼等の心にひそむ凶暴さや、狩りとった首は何を意味するのかを知ろうとつとめた。ダヤク族にとって恋愛は、ブーラン(月)の神の支配下に入ったことになる。空をめぐり、潮を動かし、愛と子孫の繁栄を司どる月は、彼等にとって最も神聖な神である。花婿は戦士のいでたちで、花嫁に火葬に附した頭蓋骨を結婚の贈物として捧げる。彼等は敵の首を狩りとると、月の力が授かると信じている。贈物にした頭蓋骨は、新しい家庭の守護神となる。花嫁は、やがて花婿と共に父親の家を脱出して丸木舟で河を下り、集落の男たちは総出で二人を追跡する。これらは皆、神聖な儀式である。十カ月に亘る探険旅行は終った。“失われた大陸”は神秘に満ちた“精神的な大陸”でもあった。
スタッフ
製作
レオナルド・ボンツィ
撮影
マリオ・クラヴェーリ
撮影
ジャンニ・ラファルディ
撮影
フランコ・ベルネッティ
音楽
フランチェスコ・ラヴァニーノ
編集、共同芸術
マリオ・セランドレイ
技術顧問
エンリコ・グラス
技術顧問
ジョルジョ・モーゼル
日本語解説
藤倉修一
日本語解説
七尾伶子
コラム・インタビュー・イベント
ニュース
作品データ
- 原題
- The Lost Continent Continente Perduto
- 製作年
- 1955年
- 製作国
- イタリア
- 配給
- イタリフィルム=NCC
- 初公開日
- 1956年5月5日
- 上映時間
- 120分
- 製作会社
- アストラ・チネマトグラフィカ=レオナルド・ボンツィ
- ジャンル
- ドキュメンタリー
[c]キネマ旬報社