P・ドヴロンラウオルフ
Yegor Efimov
ドストエフスキー作の小説『白夜』及び『ニエトチカ・ニエズワーノワ』に取材してロシャーリ、ストローエワ両女史が共同脚色し「父の権利」のウェラ・ストローエワ女史と「二人の女性」のグレゴーリ・ロッシャーリが協力して監督に当り、「帰らざる幻」のD・フェルドマンが撮影し、作曲及びヴァイオリン演奏はドミトリ・カバレフスキーが担当した。主なる出演者はソヴェート共和国功労俳優P・ドヴロンラウオルフ、ワフタンゴフ劇場幹部俳優A・ゴリューノフ、シモノフ劇場付きのK・タラソワ、「陽気な連中」のリュボーフイ・オルロワ等である。
帝政時代のロシアのこと。農奴は開放された。けれども農民の生活は依然として苦境に立ち、地主の酷使を甘受しなければならなかった。エゴール・エフィモフは或る地主の専属管弦楽団のクラリネット奏者であった。同時に彼はヴァイオリンの天才であった。地主の圧制に憤死したイタリア人のヴァイオリン奏者の形見のヴァイオリンを抱いて、エフィモフは音楽家として身を立つべくペテルブルグへ赴いた。都への道は遠い。彼は旅芸人の一団に加わって旅を続けた。座頭の女優グルューシェンカとの恋に彼が佇徊しているうちに、第一ヴァイオリン手のシウリツは一足お先きにペテルブルグへ赴いた。やがてグルーシェンカとの絆を断ってエフィモフも白夜の都に辿り着いた。エフィモフの音楽は地主の重圧に喘いでいる農民の苦悩から生れた音楽だ。彼の音楽は、上流社会の、特権階級のためにのみ存在する当時の音楽とは余りにかけ離れていた。彼の情熱の音楽に心を魅かれたのは、シウリツが恋していた貧しい乙女ナステニカだった。そして彼女は遂にシウリツの求婚を退けてエフィモフのものとなった。恋を失ったシウリツは、独創の天分は無くとも巧みに弾き、巧みに世渡りする才能を持っていた。ペテルブルクのアカデミーに認められ、やがて欧州で音楽修行にいそしんだ。その間エフィモフとナステニカの間には娘も生れた。生活の試練は富貴権力に身を屈しないエフィモフには苛酷であった。妻も娘も餓えに泣くこともあった。しかし彼は特権階級の玩弄物となるよりも餓えに甘んじた。学生や、一部の批評家には彼の音楽・音楽理論に耳を傾けるものもあったが、エフィモフは世に依然認められず、貧窮であった。シウリツは大ヴァイオリニスとして、大劇場で盛大な独奏会を開き、拍手と賞賛とを浴びていた。エフィモフは己が行く道に自信が無くなった、吹雪の街路に飛び出した。吹雪をついてシベリア徒刑囚が行進していた。徒刑囚の人々は悲痛な歌を歌って歩いていた。その歌こそはエフィモフが作った歌であり、曲であった。エフィモフは始めて、自分の天才が誰のために役立てるべきか、を知ったのである。
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