ウラジミール・ドルージニコフ
Andrei Balashov
「コーカサスの花嫁」によって、日本にも知られたイワン・プィリエフのテクニカラーである。「素敵な花嫁」「トラクター仲間」「可愛い娘」等のオペレッタの他、「コーカサスの花嫁」以後のプィリエフ作品としては「地区委員会書記」「戦後の晩六時」等があり、その後、この作品が企画されたが、製作の開始までには約三カ年の日子が準備のため費されたといわれている。音楽のニコライ・クリューコフは、モスクワ音楽院出身で、ミヤコフスキー教授の門下であるが、彼はこの映画のためにチャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリヤビン、ショパン、リストらのシンフォニーおよび室内楽をはじめ古い民謡や舞踏曲などを巧妙に再構成している。撮影は「コーカサスの花嫁」のワレンチ・パブロフが担当しており、撮影に当ってはスリコフの名画が参考にされたといわれている。(なお、ロケーションには、アルタイ山脈や、バイカル湖、カムチャッカ半島などが収められている。)主演は「石の花」のウラジミール・ドルージニコフ、「コーカサスの花嫁」のマリナ・ラドニナであり、「トラクター仲間」でプイリエフに起用されたボリス・アンドレエフがこの作品でも重要な運転手の役を振りあてられている。なお、ナステニカにふんするヴェーラ・ワシリエヴーァはモスクワ劇場技術学校の三年生である。なお、この作品は一九四七年度のプラーグの国際映画コンクールで一等に入選しており、また同年度のスタリン芸術映画賞をも得ている。
ベルリン攻撃の前夜、将校アンドレイ・バラショフは音楽への情熱やみがたく、ピアノに向っている。すると、突然大爆撃がはじまり、そのためアンドレイはピアニストにとって生命ともいうべき腕に傷をうけてしまった。やがてドイツの降伏によって戦争は終結し、アンドレイも戦線から帰還した。しかし、いまのあまりにも音楽からかけ離れすぎてしまった彼にとっては、恋人ナターシャとのかがやかしい未来にも希望がもてず、すべてをあきらめて雪深いシベリヤの故郷へと去ってゆく。しかし、ピアノを失ったピアニストにも音楽はのこされている。シベリヤのなつかしい、美しい民謡はしだいに彼の傷ついた心をゆり動かしていった。手の自由は奪われたが、まだ創造の自由はのこっている。彼はこみあげてくるよろこびを感じ、毎夜心に浮かびあがるモティーフを書きとめていた。そのころ、ナターシャを中心としたアメリカのコンクールに向う一行が、飛行機の不時着のためアンドレイの仮住いのレストランとも知らずに到着した。その夜、民衆の前に歌っている歌声にふと聞き耳をたてたのは、伴奏者のピアニストであった。ナターシャにその歌声を聞かせまいとする伴奏者の努力もむなしく、二人は再会し、お互いの愛情に変りのないことを知り、ますます強い愛情がうまれ、ナターシャはこの土地に止まる決心をする。しかし、彼女を愛している伴奏者はアンドレイを説得して故意にケンカ別れをさせるのであった。彼は、ナターシャの大成を祈りつつ、ふたたびシベリヤの奥深く向けて去ってゆく。何年かがすぎた。万年雪に閉された奥地で、アンドレイはひたすら音楽に精進していたが、やがて雪どけの春にさきがけて彼の全精神をうちこんだ力作のシンフォニイ「シベリヤ物語」が完成した。その発表の当日、満場の聴衆はその美しい、はげしいリズムに心をうたれ、恩師イゴーリン教授の眼には涙が光っている。すばらしい成功である。しかし、そのなかで、だれよりもこの成功をよろこんでいるのは他ならぬナターシャであった。発表会は大成功のうちに終り、アンドレイはふたたびシベリヤに向って旅立ってゆく。しかし、こんどはさびしい独り旅ではない。ナターシャとのたのしい新婚の門出である。
Andrei Balashov
Natasha Malinina
Yakov Burmak
Vadim Sergeyevich
Nastenka Gusenkova
Karney Nefedovich
Kapitolina Kondratycvna
Boris Olenich
Sergei Tomakurov
Gregory Galayda
監督、原作
撮影
音楽
美術
美術
録音
脚色
脚色
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