リウ・チョンユアン
師匠
琴を奏でながら歌う盲目の2人の旅芸人の物語。監督・脚本は「子供たちの王様」の陳凱歌で、史鉄生の短編小説を基にしている。撮影は雇長衛、音楽は瞿小松で、ともに「子供たちの王様」のスタッフ。
昔、中国に三弦琴を演奏し歌う2人の盲目の旅芸人がいた。年老いた師匠(劉仲元)は先代の師の教えを信じていた。それは一生を楽の音に捧げ、弦を1000本弾き切ったときに、琴の中に入れた処方箋が効力を表わし、目が見えるようになるということだった。彼は弟子のシートウ(黄磊)とともに村から村へと彷徨し、修行を積み、あと少しで1000本の弦を弾き切ろうとしていた。ある日、2人は黄河の瀑布のほとりの馴染みのうどん屋を訪れた後、荒れ狂う河を渡って辺境の村にたどり着いた。村人たちにとって、師匠は神のような存在であった。たった1曲の歌で、村同士の戦いを鎮め、調和をもたらすほどの力を彼が持っているからだ。一方、シートウは、村の少女・蘭秀(許晴)との恋に夢中になっていた。しかし、シートウに芸を継がせようとしている師匠は、2人の仲を心配する。師匠の弾き切った弦は、とうとう1000本にあと1本と迫った。彼は「この最後の弦は自分のためだけに弾く」と言い残し、ひとり丘の上で無心に琴を弾き続ける。真昼の太陽の下、最後の弦は切れた。師匠は琴の中の処方箋を勇んで町の薬屋に持っていくが、処方箋はただの白紙だった。師の教えを信じ、60年間ただこの日のために生きてきた彼は生きる意味を見失ってしまう。先代の師の墓をたたきこわし、黄河のうどん屋で、狂ったように酒をあおる師匠。うどん屋の主人は「人生は舞台に立つのと同じこと、いい舞台にもなれば、ひどい舞台にもなる。終わらなければわからない」と彼を諭した。一方、蘭秀との恋を育んでいたシートウは、「盲人と村の娘を結婚させるわけにはいかない」と怒った村人たちに辱めを受け、思いつめた蘭秀は崖から身を投げる。村に帰った師匠は、盲目のままの彼の姿に驚くシートウに「目が見えるようになりたいのなら、自分の琴を1本1本力をこめて弾け」と言い、村人たちが集まる中で、歌を歌うことの喜び、生きることの喜びを歌った。やがて、師匠は死んだ。シートウはひとり旅立つ。師匠の土産の蝶の凧を背負い、琴を抱き、新しい人生をしっかりと自分の足で踏みしめながら。
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