監督、脚本
戦後日本の進路を運命づけた極東国際軍事裁判(東京裁判)を描いた記録映画。このフィルムは、アメリカの国防総省(ペンタゴン)が、第二次世界大戦の記録として撮影・収録し秘蔵していたもの。原案は稲垣俊、脚本は小林正樹と小笠原清の共同執筆。監督は「燃える秋」の小林正樹がそれぞれ担当。2019年8月3日より4Kデジタルリマスター版が公開(配給:太秦)。
ストーリー
昭和23年1月22日。ポツダム宣言にもとづいて、連合軍最高司令官マッカーサー元帥が、極東国際軍事裁判所条例を発布し、戦争そのものに責任のある主要戦犯を審理することにした。満州事変から中国事変、太平洋戦争におよぶ17年8ヵ月間、日本を支配した指導者百名以上の戦犯容疑者の中から、28名が被告に指定され、法廷は市ヶ谷の旧陸軍省参謀本部、現在の自衛隊市ヶ谷駐屯地に用意された。裁判官及び検事は、降伏文書に署名した9ヵ国と、インド、フィリピンの計11ヵ国代表で構成され、裁判長にはオーストラリア連邦代表、ウイリアム・F・ウェッブ卿が、主席検察官にはアメリカ合衆国代表、ジョセフ・B・キーナン氏が選ばれた。一方弁護団は28人に対する主任弁護人が全部そろわず、キーナン検事団とはあまりにも格差がありすぎた。5月3日。開廷した裁判所では、まず起訴状の朗読が行われ、第一類・平和に対する罪、第二類・殺人、第三類・通例の戦争犯罪および人道に対する罪--に大別され、五十五項目におよぶ罪状が挙げられた。この裁判の一つの特徴は、戦争の計画や開始そのものの責任を問う「平和に対する罪」を設定したことである。弁護側は、戦争は国家の行為であり、個人責任は問えないと異議の申し立てを行ったが、個人を罰しなければ国際犯罪が実効的に阻止できないとの理由で、裁判所はこれを却下した。こうして23年4月16日まで、実に416回の公判が行われ、11月12日、判決がいいわたされるまで、2年6ヵ月の歳月と27億の巨費が費やされたのである。28名の被告のうち、大川周明は発狂入院して免訴となり、元外相松岡洋右と、元帥海軍大将永野修身は公判中死亡した。残る25名のうち、土肥原賢二大将、坂垣征四郎大将、木村兵太郎大将、松井石根大将、東条英樹大将、武藤章中将、広田弘毅元首相の7人が絞首刑を宣告され、他の被告は終身刑または有期刑であった。判決については、インド、オーストラリア、フランス、オランダ、フィリピンの5判事が少数意見を提出して、異議を記録にとどめた。なかでもインドの判事パルは、裁判の違法性と非合理性を指摘して全員無罪を主張した。処刑は昭和23年12月23日未明、巣鴨拘置所で実施された。終身刑および有期刑を宣告された被告のうち、梅津美治郎陸軍大将、小磯国昭陸軍大将、白鳥敏夫元駐伊大使、東郷茂徳元外相4人は、服役中病死し、残りの被告は、講和条約調印後に仮釈放された。そして、昭和23年4月7日、東京裁判に参加した11ヵ国政府は戦犯者の刑の免除を発表し、東京裁判は名実ともに解消された。
スタッフ
脚本、監督補佐、デジタルリマスター監修
小笠原清
原案
稲垣俊
ナレーター
佐藤慶
指揮
田中信昭
エグゼクティブプロデューサー、デジタルリマスター監修
杉山捷三
資料撮影
奥村祐治
音楽
武満徹
編集
浦岡敬一
ネガ編集
南とめ
録音
西崎英雄
音響効果
本間明
効果助手
安藤邦男
助監督
戸井田克彦
製作進行
光森忠勝
総プロデューサー
須藤博
総プロデューサー
足澤禎吉
プロデューサー
荒木正也
プロデューサー
安武龍
演奏
東京コンサーツ
撮影助手
北村徳男
撮影助手
瓜生敏彦
録音助手
浦田和治
編集助手
津本悦子
編集助手
吉岡聡
編集助手
佐藤康雄
史実考査
細谷千博
史実考査
安藤仁介
スーパーインポーズ、翻訳監修