栗原小巻
百合子
ボリショイ・バレー団でプリマを踊るのが夢だった日本の娘と彼女をめぐる二人の青年との愛を描いたメロドラマ。脚本は柏倉敏之、千葉茂樹、エドワード・ラジンスキー、監督は「朝霧(1971)」の吉田憲二とアレクサンドル・ミッタ・撮影はウラジミール・ナハフチェフがそれぞれ担当。
モスクワに着いた小野百合子の心ははずんでいた。ボリショイ劇場のバレーマスター、ミチャーエフに認められ、ボリショイ・バレー団に正式入団が許された時、百合子は東京の街を踊り出さんばかりに走りまわったものだ。そして、その嬉しさのあまり、百合子は早川哲也の淋しげな様子にも気づかず、東京を発ったのだった。ボリショイのレッスンはさすがに厳しかったが、それでも百合子は幸福だった。そんな百合子を稽古場で熱心にスケッチしている青年がいた。彫刻家のヴァロージャである。ミチャーエフにひどく叱られたある日、気落ちした百合子はしょんぼり雨に打たれて帰路についた。そんな彼女に優しく傘をさしかけてくれたのはヴァロージャだった。一方、東京の哲也は、百合子からの手紙がとだえがちのため、思いきってモスクワにやって来た。だが、そのことがかえって、百合子のヴァロージャへの愛をますます確かめる結果となった。ボリショイ・バレー団の次回公演「ジゼル」のプリマに百合子が指命された。ターニャをはじめ、バレー団全員の祝福を受ける百合子--。百合子が倒れたのは、公演も間近い日の昼下りであった。白血球の異常な増殖が認められた……白血病。モスクワに駐在する百合子の叔父・野川によれば、百合子の母は広島での被爆者で彼女は原爆二世だったのだ。失意の百合子を救えるのはヴァロージャしかいないと思った哲也は、百合子に彼に会うようにすすめた。そのヴァロージャは黒海沿岸の保養地・ソチにいた。哲也に連れられてソチに来た百合子は、ヴァロージャにすがりはしたが病気のことは知らせなかった。死ぬ前に一度だけ彼に会いたかったのだ。そして、嵐の日、百合子はひとり海の中へ身を沈めた。哲也から全てを聞いたヴァロージャは、百合子を探し、波間に沈む彼女を救った。意識を取り戻し、ヴァロージャを認めた瞬間から百合子は、激しくヴァロージャを求め、生きたいと心から思うようになった。そして、モスクワの病院へみずから戻ったが、病状は急速に悪化していった。苦痛が激しかった、目が見えなくなり始めていた。「百合子危篤」の報に驚いて飛んできたヴァロージャは、一昼夜、百合子の手を握りつづけていた。意識が混濁してきた。ヴァロージャの励ましの声も、もう百合子の耳には聞こえなかった……。
百合子
ヴァロージャ
哲也
野川
ターニヤ
ニコライ
アンドレイアレ
ミチャーエフ
老バレリーナ
監督
監督
脚本
脚本
脚本
製作
製作
製作
製作、企画
製作
撮影
音楽
製作協力
[c]キネマ旬報社