監督、構成
この映画は、一瞬にして過ぎ去ってゆく風のような疾(とき)、その移ろい流れる時を縦軸に、そして素朴でかつ根源的な人間のやさしさ、ふれあい、何かとコミュニケートする意識の振幅を横軸に構成された東北へのアプローチの記録である。秋田県八森の勇壮なハタハタ漁がこの映画の始まりとなる。雷鳴をともない、冬の日本海の荒波に産卵の為にやってくるハタハタの群れとの闘いのドラマが繰り広げられる。この単調かつ過酷な労働に耐える漁師達の語り口とハタハタの壮絶なる生き方には何か訴えるものがある。夏になると津軽の川倉では大がかりな地蔵講が催され、ハタハタ同様毎年忘れずに教え知れぬ母親達が集まり、幼くして死んでいった我が子の化身である地蔵様に涙を流す。そしてイタコの口寄せにより、霊を呼びもどし、哀しいコミュニケーションを始める。これはぎりぎりなやさしさの発露であり、こうした「ハレ」の場で日常の澱んだ「生」を撹乱し流れをスムーズにしようとする努力である。東北の冬は厳しい。荒野に立つ草木のようにじっとその寒気の中で耐えゆかねばならない。だからこそ、東北に生きる人々は、「家」や「親類・同族(マキ)」、「仲間(ケヤク)」を大切にし、古くから受け継がれた慣習・儀式を尊重して生活にメリハリをつけて生きてきた。そこから生れる極めて現世主義的な人間くささ、そして人間の息遣いと、さらにそれらを囲む風景がこの映画の主人公達である。六道舎第一回作品。
ストーリー
※ドキュメンタリーのためストーリーはありません。
コラム・インタビュー・イベント
ニュース
作品データ
[c]キネマ旬報社