製作
一九六八年以降、三里塚に常駐し、三里塚農民の成田国際新空港反対闘争を撮影し続ける小川プロの「三里塚」シリーズ第七作。四年ぶりに三里塚に還ったスタッフが、土に愛着する農民たちの姿を描くドキュメント。(16ミリ)
ストーリー
三里塚の空港反対闘争は、十一年目の春を迎えた。五月一日。四年振りに三里塚・辺田集落を訪れたスタッフは、集落の産土神社-面足神社を御参りした。御神体の埴輪は、以前と変わらず集落を見守っていた。毎年この頃、赤風が数回にわたって北総台地を襲う。赤風は、農民の丹誠した肥土を吹き飛ばしてしまう。宿集落の柳川初枝さんが語る。「北総台地には大昔から、この風が吹いていた。でも、百姓は負けてはいられないから、毎年堆肥を入れて、作物を育ててきた。」岩山集落には、五年間滑走路を睨みつけるように鉄塔が立っている。春先から撤去攻撃に備えて、鉄塔の補強が日々強化されていた。五月六日。抜き打ちの鉄塔破壊。田植えの真最中であった村人たちは、植えかけのままかけつけたが、早朝から敷かれた機動隊の壁に全く近づく事さえできなかった。この日撤去に集まった警察、公団、報道のヘリコプターは、鉄塔脇の岩沢さんの畑の上を何度となく旋回した。そのためビニールは飛ばされ、スイカのツルはからんでしまい、岩沢さんは莫大な被害を受けた。岩沢さんは怒りを抑えて、むしろ、つぶやくように、百姓でなければ、この気持ちはわからないと言う。スイカの花つけをして、一番の実が成り始めていた時であった。五月八日。三里塚に大量の毒ガス弾が打ち込まれた。多数の人を殺傷し、その上、畑の作物まで枯らした。毒薬はクロロアセトフェノン。米軍の枯葉作戦に使われたものと同質である。五月十四日。再び、岩沢さんを訪ねる。「山は削られてしまって、鉄砲水と共に土砂が流れ込む。収量は減ってきた。手間はかかる。でも、これから新しい土地へ行ったら、百姓の土にするのに十年はかかる。十年もかけたら、私の人生は終りです。この百姓の気持ちをわかって欲しいから反対しているんだ。」と言う。
スタッフ
製作
飯塚俊男
製作
見角貞利
製作
朝日節子
製作
畑中広子
撮影、編集
小川紳介
撮影、編集
たむらまさき
撮影、編集
福田克彦
撮影、編集
原正
撮影、編集
林鉄次
撮影、編集
瓜生敏彦
撮影、編集
川田弓子
撮影、編集
白石洋子
撮影、編集
渡辺孝明
協力
久保田幸雄
協力
高橋辰雄
協力
記録映材社
協力
辺田空港反対同盟
協力