監督、製作
一九六九年の「砂川反戦塹壕行動隊」以来、一貫して反基地闘争を記録し続けてきた星紀市監督作。一九六九年春の反戦塹壕構築から一九七七年秋の米軍・立川基地全面機能停止までの九年間の立川基地撤去闘争を記録した作品。--一九七七年十一月三十日、米軍立川基地は日本政府に全面返還された。戦後三十二年間の米軍駐留時代が終わった。立川基地が飛行場として開設されたのは大正十一年、当時の陸軍飛行第五連隊が立川へ移駐して来た時である。一九六八年二月二日、二・四沖縄ゼネストに呼応して、高さ八メートルの反戦旗を滑走路の北端ぎりぎりに十数本立て、米軍の飛行を実力で阻止しようとする闘いが「砂川反戦塹壕隊」によって始められた。その年四月十八日には拡張のための土地収用認定取り消しが閣議決定され、また、十二月一日には米軍の飛行業務が停止された。七十年夏、塹壕の地主(砂川町基地拡張反対同盟員)から、基地の拡張も中止され、米軍の飛行業務も停止されたのだから塹壕を埋めて返してほしい、という申し入れがなされた。しかし、自衛隊側は、立川基地使用が決まっている現在、塹壕を埋める事は出来ないと主張し、地主と激しく対立した。一九七一年八月二十九日、自衛隊の立川基地進駐阻止の具体的戦術として反戦放送塔が自衛隊立川基地進駐阻止共闘会議の手によって建設された。翌年十二月二十七日、自衛隊は反対派の主張を無視し、立二基地に強行進駐した。そして、立川基地返還後も自衛隊が継続使用している現実に、数多くの問題を投げかけた、米軍・立川基地全面機能停止までの九年間の闘争記録映画である。(16ミリ)
ストーリー
※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありません。
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