悲しみよこんにちは
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悲しみよこんにちは

1958年4月29日公開、94分
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フランスの女流作家、これを書いた当時は18歳だったフランソワーズ・サガンの原作を、「旅情」の原作者アーサー・ローレンツが脚色し、「黄金の腕」「軍法会議(1956)」のオットー・プレミンジャーが監督した、戦後フランスの若い世代の心理を、17歳の少女を主人公として描いた作品。「チャタレー夫人の恋人」のジョルジュ・ペリナールのキャメラ、「ノートルダムのせむし男」のジョルジュ・オーリックの音楽という欧州側スタッフが起用され、原作の舞台である南仏リヴィエラ海岸とパリで撮影が行なわれた。プリントは黒白と色彩の両方を併用するという新手法が使われている。女主人公を演ずるのは、プレミンジャーに見出だされた新人ジーン・セバーグ。他に「めぐり逢い(1957)」のデボラ・カー「いとしの殿方」の デイヴィッド・ニーヴン「女は一回勝負する」のミレーヌ・ドモンジョ「戦場にかける橋」のジョフリー・ホーンなどが主演。「陽はまた昇る」のジュリエット・グレコ「潮風のいたづら」のウォルター・チアリ等が助演する。タイトル・デザインは「八十日間世界一周」のサウル・バス、在パリ菅井汲の絵が画中に使われている。製作はプレミンジャー自身。

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ストーリー

あの夏からは総てが変わった。何もかもが永遠に--1年前の夏、17歳の私は全く幸福だった。海を見下ろす南仏セント・トラペッツの丘の別荘に私たちはいた。母を15年前亡くした父レイモン(デイヴィッド・ニーヴン)と、父の愛人エルザ(ミレーヌ・ドモンジョ)と、私、セシール(ジーン・セバーグ)の3人。父は41歳の事業家で、女にもて、親切で朗らかで、私を愛していた。半玄人でワンサ女優のエルザは、数多い父の女友達の1人。こういう友が、父に必要だということは、私はよく解っていた。海での最初の日、私は若い法科の学生フィリップ(ジョフリー・ホーン)と知りあった。私たちが海辺で最初の接吻をかわした日、母の友達だった、デザイナーのアンヌ・ラルサン(デボラ・カー)がやってきた。優雅な、洗練された、夫と離婚した中年の彼女。私たちの気楽な生活が、彼女の出現によって終わりそうなことを私は直感した。愛人であるエルザが共に生活していることを不快に思った彼女も、結局は私たちと一緒に暮らすことになった。しかし、父とアンヌはだんだん親密になり、エルザと私は孤独になっていった。私にはまだフィリップがいたけれど、エルザがまず我慢出来なくなった。カジノに行った夜。消えてしまった父とアンヌを探して、2人の囁きを暗闇の自動車の中で私が聞いた夜、エルザは私たちの所へ帰って来なかった。翌朝、父はアンヌとの結婚を打明けて私に賛成を求めた。中年の恋を得た女性の美しさ。それが私にはねたましかった。海辺のパラソルの下で、私はフィリップと激しい接吻に身をまかせた。それをアンヌが見たのだ。激しい叱責、勉強のこと、フィリップと会ってはならぬこと、将来のこと等々。けれど、私はもう子供じゃないのだ。遊び人だった父を真面目な父に変え、私まで変えようとするアンヌ、大嫌いな女。私は彼女の詰問にあって、夜の部屋をとび出した。裸で眠っていたフィリップの部屋で、私は初めて彼の激しい愛撫におぼれた。私は復讐の片棒をエルザにかつがせた。フィリップと彼女の連れだった姿を見せつけて、父の嫉妬をかきたてようというのだ。計画はやがて実を結んだ。その日の昼すぎ、父は人に会うのだと外出した。やがて散歩に出たアンヌのあとを私はつけた。そして、木陰で聞いた父とエルザの忍び笑い。アンヌは家の方に向かって走った。彼女は涙を流していた。そんな彼女を、今までどうして私は想像しえたろう。待って、アンヌ、許して--すがる私に、彼女は接吻して、自動車を猛烈なスピードでスタートさせ、走り去った。自動車が崖から落ちて、彼女が死んだことが知らされたのはその日の午後だった。この夏7回目の運転事故として。--エルザは南米に行き、フィリップとは葬式以来会っていない。残った父と私。あの時から、どの日も私にとって暗い。夢の中でアンヌを呼び、また意味のない1日を迎えようとする朝、私はつぶやく、悲しみよ、こんにちはと。

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作品データ

原題
Bonjour Tristesse
製作年
1957年
製作国
アメリカ
配給
コロムビア
初公開日
1958年4月29日
上映時間
94分
製作会社
コロムビア映画


[c]キネマ旬報社