松方弘樹
真田幸村
関ケ原の戦いで敗退した真田幸村が、天下統一の野望を成就しようとする家康の首を狙って、真田十勇士と共に、さまざまな謀略に打って出る姿を描く。脚本は「やくざの墓場 くちなしの花」の笠原和夫「団鬼六 縄と肌」の松本功、「ひと夏の秘密」の田中陽造、「総長の首」の中島貞夫の共同執筆、監督も同作の中島貞夫、撮影は「地獄(1979)」の赤塚滋がそれぞれ担当。
慶長十五年、天下統一の野望を成就しようとする家康は、名古屋城を造営して、大坂城の豊臣秀頼一党を討つための準備を進めていた。一方、真田昌幸・幸村父子は、紀州・九度山で残り少ない家臣と共に、戦いの決意を固めていたが、家康は間者を潜入させ、昌幸を殺害する。幸村の妻・綾は自刃を遂げた。幸村は穴山小助のみを残し、他の家臣を上田城へ帰し、家康側についた兄・信幸と決別、一匹狼の道を選んだ。亡父の意志を継ぎ、家康の首をとる決心をした幸村は、家康の送った服部半蔵に殺されてしまった戸沢白雲斎の残した人名帖から、諸国を放浪する草の者を集めた。白雲斎の師弟の猿飛佐助、海野六郎、望月六郎、女づれの筧十蔵、由利鎌之助、根津甚八、朝鮮人の切支丹、三好伊三入道、三好清海入道と名を改めた切支丹ジュリアおたあなどだ。真田館で特殊訓練が行なわれている中小助と十蔵の女が恋中になり、追放されてしまう。時同じくして、家康がフランキー砲、試射を見に来るという情報が入り、幸村と十勇士はこの時とばかりに出発するが、この計画を見抜いていた家康は半蔵の忍者部隊を送りだし、幸村は片目を射抜かれ、やっとのことで逃れた。家康はこの機を逃すまいと、幸村達を豊臣が雇った牢人と決めつけ、豊臣氏に叛逆の意図ありと口実をつくり、徳川連合軍四十万を大坂へ向けて進撃させた。一六一四年十月大坂冬の陣の始まりである。軍資金目当の者、ひと旗上げようとする者が大坂に集まった。幸村と十勇士も大坂へ向かった。大坂城本丸では徳川を迎え打つ軍議が開かれ、籠城を主張する豊臣譜代衆と、野戦を主張する幸村達牢人衆が対立するが、淀君の一言で籠城と決定する。幸村は鉄壁の出城、真田丸を作って籠った。そこへひょっこりやって来た小助と女たちを、幸村は、天竺渡りの麻薬を持たせて徳川陣営に送り込んだ。このため、翌日の合戦は真田軍の圧勝に終った。一方、家康は密かに和議の交渉を進め、数日後、フランキー砲の偶発に淀君は大仰天、いっきに和議に話を進めてしまう。和議が済むと家康は大坂城の堀を埋めつくし、裸同然の無防備な城に一変させてしまう。家康の首を取るまでは、戦いの火は消すまいとする幸村。清海入道の説得で秀頼は再戦を決意一六一五年四月大坂夏の陣は起こった。勝利の見込みのない自滅的な戦闘だった。そして、五月八日、炎に包まれて大坂城は落城。豊臣が崩壊し、家康は勝利の美酒に酔う。凱旋の行列中に、「我こそは幸村なり」突込んで来る一騎。次々と飛び込んで来る十勇士の幸村。「我こそは幸村」の魔性の声に右往左往する家康は、死に物狂いで馬に飛び乗り逃げ出した。それを追う幸村只一騎。そして夏の熱光の中へ鮮血噴き上げ、家康の首が宙へ舞った。
真田幸村
霧隠才蔵
猿飛佐助
海野六郎
望月六郎
筧十蔵
穴山小助
由利鎌之助
根津甚八
三好伊三入道
三好清海入道
真由昌幸
真田信幸
真田綾
穴山小兵衛
池田長門
戸田采女
さつき
おふく
戸沢白雲斉
望月千代女
八つ手
やなぎ
つばき
小つる
重助
千足
耳肋
かぶき者
徳川家康
徳川秀忠
徳川義直
金地院崇伝
林羅山
天海
本多正純
板倉勝重
阿茶局
西脇民部
井上外記
服部半蔵
伊賀の玄鬼
赤蜘蛛
疾風
霞
市兵衛
名古屋城城士
名古屋城城士
牢人
その妻
捕方
指揮の侍
役人
役人
行列の侍
行列の侍
前田藩の武将
前田藩の武者
前田藩の武者
牢人団
牢人団
牢人団
牢人団
家康本営の将
家康本営の将
家康の使者
豊臣秀頼
淀君
大蔵卿局
宮内卿局
二位局
右京太夫局
正栄尼
常高院
大野治長
片桐且元
織田有楽斉
木村重成
速水甲斐守
真野豊後守
後藤又兵衛
塙団右衛門
長曽我部盛親
毛利勝永
明石全登
加藤清正
監督、脚本
脚本
脚本
脚本
ナレーション
撮影
音楽
美術
編集
照明
録音
特撮監督
特殊効果
助監督
監督補
企画
企画
企画
企画
スチール
[c]キネマ旬報社