監督、製作
一九六九年から星紀市は自らの資金で砂川を記録し始めた。その第一作「砂川反戦塹壕行動隊」では、国家権力と対決する政治行動を記録し、第二作「塹壕」では、六九年から七〇年にかけて、反戦塹壕と地元住民意識とのギャップの中で解体していった反戦塹壕の姿を描いてきたが、この作品では新たな局面を迎えた砂川闘争の意味をさぐる。
ストーリー
一九六八年一二月「基地拡張中止」米軍発表。六九年四月。閣議決定。同六月、砂川町基地拡張反対同盟の砂川闘争勝利報告集会。そして十二月、米軍の飛行業務が停止され、反対同盟は、砂川闘争は完全に勝利したと総括した。反戦塹壕闘争委員会は、七一年秋に迫った自衛隊進駐という現実を見つめる中で、七月滑走路を封鎖する三〇メートルの反戦放送塔建設を提起した。一九七一年七月某日行動は開始された。この映画はそこから始まる。青年たちは深夜穴を掘る。無言のうちに掘っていく。そして八月、地元住民との共闘を願い反戦放送塔建設説明会が開かれた。しかし砂川闘争を完了させた人達は、一人も現われない。そして八月二九日反戦放送塔構築強行の日。塹壕の地主・反対同盟のAさんは、機動隊を引き連れて建設現場に現われた。Aさんは機動隊の武力を背景に、何から自らの土地を守ろうとするのか。この映画は問いかける。Aさんは叫けぶ。「おれたちが土地を売らなかったから基地拡張闘争に勝利したのだ。お前たちじゃない」と。Aさんは、一七年前の闘争支援に全国から来た労働者や当時の全学連の役割を無視し、自らだけの力で勝利したのだと語る。この映画は、あの闘争が法治国家内の闘争であったことを法律によって、私有財産制の原理によって勝利したことを描き出す。機動隊を帰し、家に帰る途中、Aさんはさらに涙ぐんで、「いっしょに闘えなくしたのは誰なんだ」と語る。この映画は一七年間の闘争の中に生き続けた反対同盟の誰一人として、反戦放送塔建設を突破口とする次の闘争へと説得できない反戦塹壕の現状をも鋭く描き出す。しかし反戦放送塔は、Aさんの中に再生したプチブル意識を粉砕するために、そして自衛隊進駐解体を目ざす闘いの砦として、八月二九日夜、砂川の空に高く立てられた。この映画はここまでを記録し、現代の一断面を語った。そしてその眼がただ単に過去の闘争と現在の闘争を冷めたく批判するだけでなく、それらの現実を語りかけ、さらに多くの人々に砂川闘争の意味と現闘争の問題点と課題を語りかけていく。