淡島千景
宮田千枝子
ベストセラーの松尾ちよ子の同名記録を原作に「故郷は緑なりき」の楠田芳子が脚本を書き「かあちゃんしぐのいやだ」の川頭義郎が監督した、一人の母の生活記録。撮影は「母と娘(1961)」の荒野諒一。
ママは性格の違いが原因でパパと別れた。手許に引き取った六人の子供達を飢えさせることなく守ってゆくために、ママは早速働きに出なければならなかった。幸いある放送局に勤めることができたが、かよわい女の身にとって重い録音機を肩に担いで取材に出歩くのは決して楽な仕事でなかった。しかし、ママは頑張った。そんなママにやがて第一の試練が訪れた。次男の孝が原因不明の急病で嘘のようにあっけなく息をひきとってしまったのである。ママは声をあげて泣き続けた。それから八年--孝を除いた五人の子供達は立派に成長した。だが、仕事と家庭に追いかけられてママは相変らず目の廻るような忙しさだった。ある日、三男のトシオから電話があった。「あのねえママ、おうちが燃えてるの」ゆっくりしたトシオの声にしばし意味がわからなかったママも、事の重大さに気づくと思わず顔色を変えた。発見が早かったので、屋根裏の破目板を焦がした程度で済んだが、その失火の原因が四男のヤスオのマッチのいたずらと聞いてママは近所中を詑びて歩いた。ヤスオとトシオは二卵性双生児として生れ、トシオは順調に育ったのにヤスオだけは発育が遅れ、小学校も一年遅らせる程だった。しかし、問題はヤスオだけでなかった。長男の良一にしても、長女の幸子、次女のすみ子にしても苦労をかけるのは同じだった。幸子は幸子で交番の巡査にラブレターを出してママを驚かせ、すみ子は別れたパパを慕ってママを歎かせた。だが、結局は子供達はみんなママが大好きなのだ。ママは「末っ子のヤッちゃんが私の許から飛び立ってゆくその日まで、まだ当分私の苦労は続くかも知れないが、みんながそれぞれの幸福な人生を歩きはじめる日も近いだろう。その時こそ、私一人だけの、しかし決して淋しくはない人生が始まるのだ」と、思いながら、今日も重い録音機を肩に街へ取材に出かけて行く。
宮田千枝子
山本幸子(16歳)
山本幸子(9歳)
山本良一(18歳)
山本良一(11歳)
山本すみ子(15歳)
山本すみ子(8歳)
山本孝(4歳)
山本トシオ(8歳)
山本ヤスオ(8歳)
佐藤あき子
美代子
渡辺
芳沢巡査
編成局長
八重子
川上先生
尼僧
弁護士
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