100発100中(1965)
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100発100中(1965)

1965年12月5日公開、101分、アクション
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都筑道夫と「血と砂」の岡本喜八が共同でシナリオを執筆、「香港の白い薔薇」の福田純が監督したアクションもの。撮影もコンビの宇野晋作。

ストーリー

パリの空港を発ったジェット機に二人の日本人がいた。一人はイギリス生れの二世。一人は無口な男。二人は素姓を明かさずバンコック、香港と旅を共にしたが、二世青年は香港で殺し屋に殺害された。後に残ったパスポートには、国際秘密警察アンドリュー・星野と記されていた。無口な男はアンドリュー・星野と名のって、パスポートを使い羽田に着いた。ごったがえす空港では奇妙な事件が起きた。税関でストリッパーの化粧カバンが爆発したのだ。そして、機会を狙っていたかのように一人の中国人がその騒ぎの中、逃げ出した。青年星野は追跡したものの、遂に見失なった。そんな星野に車で近づいた美しい女ユミは、東南アジアを舞台にプラスチック爆弾を売り歩くというおしゃれな殺し屋だ。ユミに案内されて着いた所は殺し屋の巣“赤月組”の地下室であった。例の中国人黄昌齢は赤月組が張り合っている青沼興業を全滅させるため、100挺のCRS拳銃をストリッパーにもたせ香港から密輸して来たのだ。だがユミはもっと強力な武器をもっていた。超音波の笛でいつでもどこでも爆発できるプラスチック爆弾だ。やがて国際秘密警察の刑事が派遣されたとパリから連絡を受け、警視庁の刑事手塚が赤月組に張り込んだ。しかし、手塚も地下室にとらわれた。二人の仕末に困った赤月組は、冷凍トラックに二人を移し、ユミを見張人に東海地方へと向った。だが手塚は星野とユミのお熱い交歓にたじろいだ。一方腹黒い黄は、赤月組に100挺のガンを売りつけると、青沼興業へ向い、赤月組の秘密と交換に青沼組に200挺のガンを売った。そのうえ黄は、青沼から、星野は、スイスの密売王ド・バルメイエから派遣された殺し屋で、香港で密売王から独立したフランス人ルボワと黄を狙って日本にやって来たのだと聞かされた。だが星野が赤月組に捕まっているのを知っている黄は、安心した。そして黄は赤月組が100挺のガンを荷揚げする時と場所を知らせた。だがその時は、星野は手塚と共に逃げていた。100挺のガンが見込みなしと見たユミが、刑事星野に惚れ込んで、二人を救けたのだ。星野と手塚はそれから黄とルボワを捜しはじめた。手塚、星野、ユミの三人は、イタリアで整形手術をしたというルボワを捜したが、ふとしたことからマネジャーに置き去りにされたストリッパーを知り、星野、手塚のカンは、ルボワとマネジャーが同一人であることを感知した。CRS特捜本部に渡りをつけた手塚らは、マニラに飛びマニラ市警の協力を得て捜査を開始した。が東京からつけて来た青沼の配下小森により星野が捕われ、黄昌齢の運転するセスナ機にのせられた。手塚とユミは飛行機で直ちに追いかけたが、黄昌齢は、星野を置くと一人パラシュートで降下した。ジャングル地帯に墜落した星野、手塚、ユミは、ルボワ配下の白人、フィリッピン人にとり囲まれ、ルボワの武器工場に連行された。三人の前に初めて顔を見せたルボワは、アンドリュー・星野という青年は、黄が香港で殺したはずだと言い、偽の星野に不審をもった。星野に拷問で正体をはかせようとするルボワに、部屋に監禁されたが、ユミの秘密兵器で救けられた。反対にルボワに拳銃を押しつけた星野は、マニラ市警に連絡し、CRSリボルバー密輸出王ルボワは遂に目を閉じた。あとに残った手塚は、星野が国際秘密警察どころか殺し屋だと知ったが、なごりを惜しんで別れた。星野の後をユミが追いかけた。

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作品データ

原題
Ironfinger
製作年
1965年
製作国
日本
配給
東宝
初公開日
1965年12月5日
上映時間
101分
製作会社
東宝
ジャンル
アクション


[c]キネマ旬報社