倉石功
海津士郎
「若親分千両肌」の道居鉄哉が構成にあたり、「女の賭場」の服部佳がシナリオを執筆、「悪魔からの勲章」の村山三男が監督した航空もの。撮影は「ラーメン大使」の渡辺徹。
海津、篠田、郷原、坂本、田代ら航空学生九十名はソロ飛行を一日千秋の思いで待っていた。プロペラ機による訓練で海津は単独飛行第一号として大空に放たれた。厳しい訓練で残った学生は半数。海津ら第一初級課程をパスした者は、芦屋基地に転校、そこで編隊飛行、急上昇旋回、空中旋回、四機編隊を学んだ。戦闘機操縦課程への道は険しく、さらに厳正な能力審査を受けなければならなかった。その結果、坂本他三名が救難課程(静浜)へ、三名が輸送課程へ、海津以下十名は操縦幹部候補正三等空曹として浜松基地の飛行教育隊基本操縦課程へ進んだ。渡辺飛行班長の指導のもと、海津らはT33ジェット練習機、F86Fジェット機のパイロットとして本格的な訓練に入った。落下傘降下、緊急脱出、海上救命のテスト訓練が続けられた。粉雪が降る日、坂本が志魔半島で訓練中に失速事故で死んだ。愕然とする一同を渡辺教官は鼓舞激励した。パイロットの訓練に決勝点はない。闘志と情熱がその困難を克服するのだ……と。日本列島縦横飛行をもって浜松基地での課程を終えた海津、篠田、郷原らは空中射撃訓練のため千歳基地に移った。この頃、郷原が厳しい訓練に耐えきれず除隊した。五人の仲間も今は海津と篠田の二人きり。二人は最終の訓練地宮崎の新田基地でF104ジェット戦闘機を与えられた。愛称“栄光”は最高時速二四〇〇キロ、日本縦断に四〇分とかからなかった。心臓の鼓動のように作動する無数の計器。高度の技術と旺盛な研究心がなければ使いこなすことはできない。宙返り、急降下、反転急上昇、切りもみ。そんな妙技を展開するうち海津は異常事態を発見した。減速装置が故障したのだ。その上、板付基地は滑走路上に事故があり使用不能。しかし懸命の努力が奏功し海津は見事危機脱出に成功した。やがて千歳基地に配属された海津と篠田は人類の夢と希望を担って、未知への可能性へ向って飛び続けるのだった。
海津士郎
郷原克彦
篠田正美
坂本三郎
田代隆雄
山崎三等空佐
矢代二等空尉
笹井二等空尉
渡辺二等空佐
工藤二等空佐
大滝一等空尉
吉野一等空佐
原口空将補
速水二等空佐
中村空将補
須崎一等空佐
浪貝一等空佐
学生
学生
学生
学生
学生
学生
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