三船敏郎
山本五十六
「でっかい太陽」の須崎勝弥と「父子草」の監督丸山誠治が共同でシナリオを執筆し、丸山誠治が監督した戦記もの。撮影は「100発100中 黄金の眼」の山田一夫が担当。
昭和十四年。揺れ動く世界情勢は未曽有の危機をはらんでいた。折しも日本国内では、日独伊軍事同盟をめぐって、陸軍を中心とする軍事同盟賛成派と一部良識派が、対立していた。時の海軍次官山本五十六は、世界大戦突入を憂慮し、同盟結成を阻止しようとしていたが、皮肉にも連合艦隊司令長官に任命されてしまった。翌年九月二十七日、日独伊三国同盟が調印された。山本司令長官は任務のために真珠湾奇襲作戦に出たが、それは早期講和に持込むための布石だった。この作戦は予想以上の戦果をあげた。だが、米軍の空母が無傷だったことは、開戦劈頭に相手に致命的打撃を与え早期講和につなごうという念願を崩し去った。やがて、“大和”が連合艦隊の旗艦として就役。真珠湾の余勢を駆って、日本軍は西南太平洋から印度洋にかけて、破竹の進撃を続けた。だが昭和十七年四月十八日、米空母ホーネットを発艦したB52の編隊が、日本本土を初空襲。これに動揺した軍上層部は、ミッドウェー作戦を強行した。しかし、作戦指導の失敗から、四空母を失い、山本長官の念願していた早期講和への道は、全く絶たれてしまった。ミッドウェーの勝利から米軍は、俄然反撃に転じ、ガダルカナルへの上陸作戦を開始した。日本軍はラバウルを基地に善戦したものの、補給に継ぐ補給、消耗に継ぐ消耗と日米の物量の差が日増しにあらわれ始めた。ガダルカナルの将兵には、飢餓、酷熱、疫病との戦いも加わり全滅寸前。ここに山本長官は全責任を一身に集め、作戦を中止し一万余の将兵を救うべくガ島撤収命令を出した。撤収を終った山本長官は、戦局挽回のため自らもラバウルに将旗を飜えした。そして昭和十八年四月十八日、山本長官は六機の零戦に護られて前線部隊の激励に出かけた。しかし米軍は日本軍の機密暗号電報を解読していた。やがて、長官機は護衛機必死の応戦もむなしく、米軍P38に襲われ火を吐いた。戦争反対を主張しながらも、戦争を余儀なくされた山本五十六は、皮肉にも自らの戦死によってその責任を全うしたのである。
山本五十六
米内海軍大臣
近衛総理
永野軍令部総長
伊藤軍令部次長
南雲機動部隊司令長官
源田航空参謀
栗田司令官
伊集院大尉
木村大尉
岩国航空隊司令
大本営報道部長
百武司令官
陸軍辻参謀
船頭喜太郎
木村澄江
矢吹友子
宇垣参謀長
黒島先任参謀
渡辺戦務参謀
有馬水雷参謀
藤井政務参謀
通信参謀
航空参謀
福留第一部長
富岡第一課長
及川海軍大臣
畑陸軍大臣
草鹿参謀長
航海参謀
機関参謀
早川艦長(鳥海)
山口少将
高野大尉
三上中尉
森崎中尉
米山飛曹長
大森二飛費
野上一飛曹
陸軍少佐参謀A
陸軍少佐参謀B
郷里の友人A
郷里の友人B
従兵 近江三曹
監督、脚本
脚本
ナレーター
製作
撮影
音楽
美術
編集
照明
録音
特技監督
特技撮影
特技撮影
特技美術
光学撮影
照明
合成
合成撮影
操演
石膏
助監督
特技助監督
スチル
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