天保水滸伝 利根の火祭
天保水滸伝 利根の火祭
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天保水滸伝 利根の火祭

1952年6月26日公開、89分、時代劇
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企画は高桑義生、萩原四朗の原案によって柳川真一が脚本を書き、「あばれ熨斗」の安達伸生が監督に当たっている。撮影は同じく武田千吉郎である。出演者の主なものは、「西遊記(1952)」の坂東好太郎、「銭形平次捕物控 地獄の門」の三浦光子、松竹京都から新しく転じた若杉曜子、浪曲の広沢虎造と玉川勝太郎の二人、その他清川荘司、荒木忍、澤村國太郎などである。

ストーリー

世をすね、酒に身を持ち崩したため女房せつに去られた平手造酒は、一子彌太郎を連れて放浪の旅に出た。利根川畔の宿場で病気で倒れた造酒は、髪床の安兵衞の世話になった。土地の貸元笹川の繁造は彼の噂を聞き、礼を尽くして彼を剣道指南に招いた。造酒は土地の人々になじんだ彌太郎のためそれを承諾した。繁造が催した大花会で恥をかきそうになった飯岡の助五郎は、笹川一家を逆恨みしてこれを叩き潰そうと決心した。その頃、造酒がやくざの指南番になった噂を旅の浪曲師勝太郎から聞いたせつの父孝庵は、彼の身を案じて江戸へ連れ帰ろうとせつを同伴して訪ねてきた。造酒は助五郎の子分に襲撃され、その時は事なきを得たが、彌太郎をこうした世界で育てることに不安を感じ、せつたちの手に彌太郎を渡して江戸へ帰らせた。その淋しさを紛らわすため彼は一層深酒に浸り、健康を害していった。が、彌太郎が父を慕って戻ってきた姿を見て、江戸へ帰ってせつと三人で新しい生活へ出発しようと、彼は初めて決心した。その折も折、助五郎たちは大挙して笹川一家を襲うために利根川を下ってきた。繁造はこれを造酒に知らせるなと口止めしたが、苦戦になった時に子分の一人が急報したため、造酒は駆けつけて笹川一家を救った。しかし彼は病身に受けた深傷のため死んでいった。数日後、この出入りに殉じた髪床の安と造酒の新しい二つの墓前に額ずく、せつとしのと彌太郎の姿があった。そして利根の川面へ、勝太郎の手向けの浪曲が静かに流れていくのだった。

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作品データ

製作年
1952年
製作国
日本
配給
大映
初公開日
1952年6月26日
上映時間
89分
製作会社
大映京都
ジャンル
時代劇


[c]キネマ旬報社