藤田進
仁礼
昭和二十年に製作され、封切直前に終戦となり追放映画に指定されていたもの。製作者は、氷室徹平、脚本・監督は、最近作では「七色の街」のある山本嘉次郎、撮影は「煙突の見える場所」の三浦光雄。出演者は現在活躍中の人々であるが、「東京の恋人」以来休養をしている原節子、「銀二郎の片腕」の藤田進、「夜の終り」の志村喬、「妻」の中北千枝子、「愛情について」の村田知英子、それに現在病臥中の榎本健一などである。
維新の騒ぎも一応おさまった明治初年のこと、薩摩出身の仁礼半九郎中尉は、剛直な気質と稀代の女嫌いで通っていた。同時に西郷隆盛の高潔な人格に深く私淑する一人であった。或る日、隣家の豪商長谷部の娘雪子を危難から救ってやったが、雪子はこの日から彼の男らしい面影を慕う身となった。仁礼も、一日愛育していたカナリヤが隣家へ逃げ込んだのを雪子が捕えてくれたことから、彼女の美しさにつくづくうたれ、三度の食事も咽喉に通らぬほど思いつめるようになった。仁礼を愛する隊長岡本少佐は、見かねて自ら仲人を買って長谷部の邸へのり込んた。この仲人役、最初は成功にみえたが、少佐と長谷部とが政治論をたたかわせるに及んで、この商人と軍人は大喧嘩をしてものわかれとなった。仁礼も雪子も人知れぬ大きな失望に苦しんだ。雪子が尼になるといって沈み込んでいるのを見て、さすが親心から長谷部が詑を入れたが、たまたま彼がイギリスから買入れた武器を時の政府に不満の西郷に売りつけようとしていると知った仁礼は怒って縁談の中止を申出た。長谷部は仁礼の潔白に更に感じ入り、再び謝罪して娘との婚約をようやくとりむすんだ。しかし征韓論に破れた西郷が故郷へ引上げるときまったとき、仁礼は日頃の西郷への盟約を守ってすべてをすてて彼に従う決心を変えなかった。西郷の命令といって有島たちが長谷部の許へ武器を買いに来たとき、長谷部は仁礼との約を守ってこれを拒絶した。仁礼はどんなことがあっても西郷に忠節は捨てさせたくなかったのである。雪子との命をかけたほどの恋もすてて、仁礼は西郷と共に九州へ去った。
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