哀しき富士の白雪よ:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
哀しき富士の白雪よ
哀しき富士の白雪よ
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哀しき富士の白雪よ

1955年2月26日公開、75分
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脚色は「石松と女石松」の笠原良三、監督は「泣き笑い地獄極楽」の浜野信彦、撮影は「幸福を配達する娘」の秋野友宏がそれぞれに担当。主なる出演者は、「螢の光」の八潮悠子、千葉昌子、「お嬢さん先生」の市川和子、川上康子、林成年、「幸福を配達する娘」の井上節子、船越英二等。

ストーリー

星華女子学園スケート部の明子、恭子、君子、よし江、悦子らは白川先生に指導され、国体大会を目ざして練習に励んだ。練習場のアイスパレスは風紀がよくないと異議が出たが、白川が全責任を持つという条件で許された。国体を前に猛練習に入るころ、恭子の様子が変なので白川は校医の松浦に診察して貰った。恭子は思春期に起る一種のノイローゼで、先生の強い愛情以外にこれを治す方法はないと聞かされ、彼女を励ますため白川は二人だけで特別の練習をした。これを見た明子は二人の仲を嫉妬し、白川を手紙で責めた。白川の父は富士山頂の測候所に勤めていたが病気で危篤に陥った。電報をうけた白川は松浦に後事を托して山頂に向った。松浦の努力で恭子と白川に対する明子の誤解もとけ、皆は力を合せて出場し、見事にフィギュアで一、二位を得て優勝した。優勝祝いが明子の家で開かれ、その席上で全員が白川先生にこの喜びを知らせ、また先生のお父さんを見舞うため富士山へ登ることが決定された。このことを無電連絡で知った山頂の人々は、喜ぶと同時に折悪しく嵐の来そうな様子に心配した。悪天候のため登山の一同は道に迷い、ついに明子はひとりはぐれてしまった。気づかって測候所を出た白川は、幸いに明子を発見した。が、その瞬間に雪崩が二人の上に襲いかかった。明子は助けられたが、白川先生の姿はなく、八日間の必死な作業も空しく遺体は発見されなかった。そして卒業式の日、皆は亡き先生を偲び、「仰げば尊し我が師の恩」と涙にむせびつつ声を揃えて歌いつづけた。

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作品データ

製作年
1955年
製作国
日本
初公開日
1955年2月26日
上映時間
75分
製作会社
大映東京


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