解説
一九五七年秋から五八年春にかけて、「日本民族学協会」の東南アジア稲作民族綜合調査が行われたが、同調査団に同行した撮影隊による長篇記録映画がこれである。これまで日本民族の日本列島への移動は、北と南・四つの異った経路を辿ったものとされているが、そのひとつを逆にたどりインドシナ--メコン河流域の稲作民族の文化を綜合的に調査研究するのが、今回の調査団の目的であった。メコン河は全長四千五百キロ。チベット高原に発し、ビルマ、ラオスを通りタイ国境を作ってカンボジアを経てベトナムに入る。“母なる大河”と呼ばれるゆえんである。そのうち、二千七百キロが踏査され、流域上数千年来の稲作文化を築きあげている四十余の民族(種族)がその対象となった。同行した撮影隊の行程は空陸一万キロに及ぶという。苗族の生態の撮影は世界ではじめてともいう。色彩はイーストマンカラー。
ストーリー
南シナ海からメコン河をさかのぼること三百キロ、支流トンレ・サップとの合流点にカンボジアの首都プノンペンがある。人口五十万、メコン流域最大の都市である。古い文化と新しい文化の混淆がいちじるしい。王宮。市場。博物館。水上生活者の生活。プノンペン北方四百キロの地点にこの河最大の滝コーンがある。ダムの建設計画が進められていた。ラオスに入ると、モイ族を求めて安南山脈へ。さまざまな奇習。コーンの滝から百五十キロのバサックの山はクメール族が二千年前住んでいた。彼らは更に南下してクメール王国をつくったが、当時の都アンコール・トムが廃墟として残る。バイヨン寺院の壁画。それから一キロ余の地、トレン・サップ湖の北岸にアンコール・ワットがある。文字通り“大きな寺”だ。ラオス第二の都パクセ附近の農家では、米のつき方、籾ふるいのやり方、穀倉の型、糸つむぎなどが日本の農家の場合とそっくりだった。広々としたメコン流域の豊かな米の収穫が終ると、水祭りである。その夜の踊りはその手つきといい日本の盆踊りを思わせた。ラオスの首都ベンチャンを経て、黒タイ族の集落などに行きあわせたりして、北ラオスの山岳地帯へ向う。日本人と最も似ていると云われる苗族の集落が標高千数百メートルの山地にあった。彼らが夕暮れに楽しむ笛は、日本の笙とよく似ていた。日本稲の原種が、調査団によって、その集落で発見されたという。こうして、調査は一応の成果を得た。
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作品データ
- 原題
- The Mekong River -Origin of Race
- 製作年
- 1958年
- 製作国
- 日本
- 配給
- 東和映画
- 初公開日
- 1958年5月31日
- 上映時間
- 79分
- 製作会社
- 読売映画社
- ジャンル
- ドキュメンタリー
[c]キネマ旬報社