片岡千恵蔵
大石内蔵助
「若さま侍捕物帳 紅鶴屋敷」の共同執筆者・比左芳武の脚本を、「隠密七生記(1958)」の松田定次が監督したお馴染の忠臣蔵。撮影は「隠密七生記(1958)」の川崎新太郎、音楽も「隠密七生記(1958)」の深井史郎。内蔵助に扮する片岡千恵蔵を筆頭に、東映のオールスターが出演している。
◇桜花の巻--元祿十四年春。赤穂藩主浅野内匠頭長矩は勅使・院使の年賀答礼使伝奏接待役を命ぜられたが、諸式指南役の吉良上野介にことごとに意地悪い仕打ちを受けた。--晋光院二百畳の表替えは、堀部安兵衛の働きでことなきをえた。また、烏帽子大紋の式服を長裃と教えられたことも、片岡源五右衛門の深慮に救われた。--しかし、三月十四日、松の廊下での刃傷で、家は断絶、身は切腹となり、田村邸で内匠頭はその短い生涯を閉じた。--報せが赤穂へ飛び、藩論は二分した。城明しに応じ退転しようという大野九郎兵衛一派と、籠城して一戦を交えようという殉忠派である。病気の橋本平左衛門は一同の奮起をうながすため、腹を切った。大石内蔵助は彼の亡骸を抱いて慟哭した。彼は籠城決戦の決意を藩士たちに示した。勘気の身の不破数右衛門も駈けつけてきた。が、内蔵助の考えは二転、三転し残った人たちを前に、彼は内匠頭舎弟大学のお取立を願い、城明渡しを決めた。軍使脇坂淡路守の情けに感泣しながら、内蔵助らは赤穂城を去って行った。◇菊花の巻--伏見の遊里撞木町で、内蔵助は放蕩三昧を続けた。数右衛門の諌言にも耳をかさなかった。小林ら吉良家の間者たちが白刃を突きつけ、その心底を吐かせようとしたときも、魂の抜けた人のように士下座して謝るばかりだった。--故平左衛門の娘たかは吉田忠左衛門から吉良邸への間者になってくれと頼まれた。隠居所の建て方を調べる役目である。岡野金右衛門の祖母とわの願いで忠左衛門はたかと許婚の金右衛門に仮祝言をあげさせた。三々九度の杯が別れの盃だった。--上杉綱憲は上野介を米沢本家へ引き取ろうとしたが、家老千坂兵部は世論をおそれ、思い止まらせた。吉良邸への浪士の監視が続いた。安兵衛は安酒をあおる日が多かった。小山田庄左衛門、高田郡兵衛の二人は浪士から離脱していった。安兵衛と源五右衛門は京に上り、一文字屋で内蔵助に討入りの決行を迫った。内蔵助はお家再興を幕府に願い出てあるからと制した。が、その望みもむなしかった。内蔵助は妻子を離別し、ひそかに江戸へ下った。おたかは地図を入手していた。八十右衛門も情報をもたらし、討入りの日が決った。浪士たちも家族と別れて集ってきた。--元祿十五年十二月十四日。赤穂浪士は本所松坂町の吉良邸へ討ち入った。
大石内蔵助
堀部安兵衛
岡島八十右衛門
速水藤左衛門
大石主税
前原伊助
矢頭右門七
菅野三平
堀部弥兵衛
片岡源五右衛門
小野寺十内
横川勘平
武林唯七
大高源吾
神崎与五郎
潮田又之丞
寺坂吉右衛門
赤埴源蔵
原惣右衛門
大野九郎兵衛
三村次郎左衛門
不破数右衛門
吉田忠左衛門
橋本平左衛門
岡野金右衛門
浅野内匠頭
りく
内匠頭夫人
大三郎
お空
おとわ
浦路
おたか
脇坂淡路守
戸田の局
お幸
糸路
おかる
主水
生島太夫
初音太夫
青柳太夫
小桜太夫
白菊太夫
鈴木元右衛門
小林平八郎
久兵衛
長吉
上杉綱憲
綱吉
田村右京太夫
多右衛門
多門伝八郎
清水一学
荘田下総守
梶川与三兵衛
柳沢吉保
千坂兵部
吉良上野介
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