森美樹
宮本武蔵
「時代映画」の山上伊太郎賞を受賞した新人・梅林貴久生の脚本を、「花の幡随院」の大曽根辰保が監督した巌流島決闘秘話。撮影は「伴淳・アチャコのおやじ教育」の倉持友一。
宮本武蔵は一条寺下り松で吉岡一門と決闘し、そのまま鳥羽へ旅立った。喜んだのは藩主・内藤忠則だ。しかし、同家の指南役・黒城玄蕃は複雑な気持だった。武蔵を指南役に召しかかえるとすれば、自分はどうなるかと思うからだ。玄蕃には香代という娘があった。香代は松坂まで琴を求めに行っての帰途、武蔵と知り合い家に連れて帰った。翌日、武蔵は玄蕃に連れられ忠則に対面した。玄蕃の門弟たちと試合をし、師範代までも負かした。忠則は玄蕃との試合を命じた。が、武蔵はこれを断わった。玄蕃の人柄にひかれるものがあったからだ。玄蕃はせめて相討ちにでもと、それから連日激しい稽古をかさねた。玄蕃の妻の滝江や、香代が武蔵の許をおとずれ、試合をやめてほしいと頼んだ。武蔵は鳥羽を去った。が、忠則は金で武蔵を追い払ったとの噂を聞き、玄蕃に切腹を命じた。これを知った武蔵は引返し、玄蕃を救った。--七年後、小倉では同藩指南役・佐々木小次郎と武蔵が対決すると大騒ぎをしていた。玄蕃がやって来、武蔵を励ました。彼は小次郎の燕返しの剣法をさぐるため小次郎と剣をまじえた。が、燕返しは鋭く、小次郎の剣は玄蕃の胴へ。かつぎこまれた玄蕃は、苦しい息の下から、燕返しに勝つ方法は唯一つ、飛び上れと武蔵に教えた。かくして、小次郎との試合は武蔵に凱歌が上った。すでにその頃、玄蕃は死んでいた。数日後、旅姿の武蔵はすがる香代に「玄蕃殿を殺したのはこのわしだ、武蔵、生涯妻は娶りませぬ」と言い、立ち去った。
宮本武蔵
佐々木小次郎
黒城玄蕃
妻滝江
娘香代
内藤忠則
関森多三郎
妻志乃
吉岡源次郎
忠則家重臣
紬川忠利公
細川家重臣
吉岡家門弟
吉岡家門弟
忠則家臣A
忠則家臣B
忠則家臣C
玄蕃門弟A
玄蕃門弟B
玄蕃門弟C
武芸者A
武芸者B
小次郎門弟A
小次郎門弟B
小次郎門弟C
旅篭女中
船頭佐助
囚人の浪人
医者
介錯人
立会人
香代の附添女
遊女