阪東妻三郎
寅八
「花婿太閤記」に次ぐ丸根賛太郎演出作品。
東海道名代の大井川金谷の宿に、酒と喧嘩では人におくれを取ったことがないという川越人足、張子の寅八、彼の好敵手は馬方の頭分丑五郎であった。場所は美しい看板娘おときのいる居酒屋浪華家と定まっていた。その寅さんが、ひょんなことから赤ン坊を背負い込んだ。話というのは街道筋に悪狐が出没するというので武勇自慢の寅八が勢い込んで出馬したが、間もなく、すやすや、と寝ている赤ン坊を抱えて来たのである。「なあに狐が化けていやがるんだ、今正体を現すから見ておれ」というので一晩中赤ン坊を監視したが、結局正真正銘の赤ン坊であった。寅八にとって赤ン坊は思いがけない厄介者だが、といって捨てるに捨てられず、丑五郎との意地づくから「育ててみせる」と言い切る破目になった。それからの寅八は善太と名づけた子供のために、酒も喧嘩もやめてしまった。善太が大病で町医者に見放された時は数里の道を走り通して京の名医松屋容齋を迎えようやく一命を取りとめた程の子煩悩になっていた。善太はやがて七つになった。彼は自然と備わる品と威厳で近所の餓鬼大将になった。ところが大名行列の先を突っ切ったため本陣に連れて行かれてしまった。これを聞いた寅八は一時は気も顛倒したが、一大決心をすると大名の宿泊する本陣に駆け込み子供の身代わりになることを懇願した。それが「武士にも劣らぬ覚悟」と、いうので、善太も寅八も許されて帰って来た。その夜祝いの酒の席で、寅八は「善坊はさる大名の落胤だ」と座興に言った。その翌日それが本当になって、なにくれと善太のことに気をつかって巡業の旅ごとに玩具や金を持ってくる関取賀太野山からその真相が語られた。寅八は美しい着物を着た善太の周囲にいる腰元や威儀を正した武士達を淋しげに眺めた。彼は悲しかった。七年の間、父となり子となり今は善太と切り離した生活などを考えることすら出来ないのだ。「お前はいつぞや本陣に乗り込んだ時死んでる筈だ、善太のためにもう一度死ねよ」という質屋の親爺の一言に翻然悟った寅八は「善太、ちゃんはもう一度死ぬぜ」と泣いた。かくて善太は江戸表の父君に対面すべく大井川を渡ることになり、川岸には彼のために美々しい蓮台が用意されたが、善太は寅八の肩で渡って行った。「善太、おめえは宿場のみんなに優しくしていたが、殿様になってもみんなに優しくしてやるんだぜ」寅八の手がしっかと善太の脚を握りしめていた。
寅八
おとき
辰
六助
太平
丑五郎
蜂左衛門
賀太野山
甚兵衛
久右衛門
松屋容齋
笹井正庵
鎌田大学
齋田金十郎
勝谷英之進
三歳の善太
七歳の善太