市川右太衛門
槍の権三
「手袋を脱がす男」に次ぐ森一生監督作品。
権三がサムラヒになりたがった訳はしがない日雇人足の彼がサムラヒの娘に恋をしたからであった。権三は旅人足に雇われた。槍を搬ぶ役目であった。その槍はお大名の大切な家宝でサムラヒ数名が警護に附き添っての道中であった。躓いた足先の傷が因で、遅れた権三に思いもかけぬ災難がふって湧いた。主人の紋章入りの幔幕が張ってあったので何の頓着もなく槍をかつぎ込んでしまったが、そこは権三の着く前にサムラヒ同志の金銭上の話合で他のお大名が宿っているところであったのだ。問題は紛糾した。そして責任は権三に転嫁された。槍方のサムラヒ達は権三に彼のサムラヒの憧れを利用して腹を切れと迫った。いつしかサムラヒというものの本身--家名格式が個人の実力を無視して巾をきかせる実情、忠義の名のもとに、死ぬることを名誉として喜ぶらしく見せかけている擬態--を知った権三はサムラヒ達の要求を峻拒した。権三は覚醒した一個の人間として理不尽な権力の暴圧に反発して起き上がった。そして日頃からサムラヒへ憤りを抱いていた旅人足軽達の協力で権三はサムラヒ達を膺懲する。
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