山田五十鈴
松井須磨子
製作は「四つの恋の物語(1947)」の松崎啓次、脚本は「情炎(1947)」の原案者「わが青春に悔なし」の脚色者久板栄二郎と、衣笠貞之助が共同で担当。「或る夜の殿様」「四つの恋の物語(1947)」第四話(恋のサーカス)に次ぐ衣笠貞之助の演出撮影は「四つの恋の物語(1947)」第二話の中井朝一、音楽は「愛よ星と共に」(新東宝)の早坂文雄。「或る夜の殿様」以来久々で山田五十鈴が主演し、新劇の演出家土方与志が映画俳優としてはじめてカメラの前に立ち共演する。新劇畑から赤木蘭子、千石規子、新田地作、伊達信、薄田研二、永田靖らが出演するほか、「戦争と平和」でデヴューした伊豆肇、「音楽五人男」の高野由美、「銀嶺の果て」の志村喬、河野秋武、「素晴らしき日曜日」の沼崎勳らが顔をそろえている。
大久保博士、島村抱月等を盟主とする文芸協会は倉本源四郎の高等演劇場の二階に仮事務所を設けた。その隣りの楽屋が仮教室。ここでは熱心な演劇研究所の生徒を前に大久保、抱月、福原等が生徒以上の熱をもって講義を進めていた。その講義を一語も漏らすまいと聞いている異様なまでに熱心な女、小林正子であった。同じ生徒の平井陽三の紹介で入ったのである。正子は二度目の結婚にも失敗し、敢然、夫や家をふり切って出て来た女だった。古い殻を脱ぎ捨て、自分の力で何か新しいものを掴もうとする意欲、それが正子をふるい立たせ、凡ゆる困難を征服させるのだった。正子の存在はたちまち際立ったものになった。ハムレットの試演の後、公演は“人形の家”と決り配役も済んだ。正子は芸名を松井須磨子と改めノラを演る事になった。公演は絶賛を博し、須磨子の名は一躍拡大された。ノラを地で行く須磨子である。その役が受けないはずはなかったのだ。今や新劇女優としての輝かしい第一歩を踏み出したかの女である。その陰に抱月の熱烈な指導があった。須磨子にとって抱月は更生の恩人、いやそれ以上のものになりつつあった。抱月も須磨子の鮮明な性格から噴出するものが次第に強く胸の中に食い込んで来ている。何時の間にかお互いが尊敬し合い、引き合っていたのだ。しかし抱月より先に平井陽三が須磨子を焦がれて結婚を申込んだ。須磨子は考えてもみない事だった。抱月に相談した。曖昧な返事を与えて須磨子を帰した抱月は、そこでハッキリと自分が須磨子を愛してることを知った。人間として、自分の力で戦いとった自由の中に生き得る須磨子、何という素晴らしい女だろう。だがふり返って自分をよく見ると、抱月は憂鬱だった。彼は養子なのだ。彼の家庭、家風、何一つ彼の進歩的な考えに逆行しないものはない。殊に妻伊都子に至ってはもはや我慢のならない存在であった。そうだ、須磨子と。抱月と須磨子の恋愛が、意外に大きな反響をまき起し、研究所、学校はもちろん、大久保博士からさえも糾弾され、彼はついに協会を脱退し、家も妻も捨て、自由に生きる決心をし、新らたに須磨子と芸術座を創立した。研究所の第二期生、早稲田文学の連中もそれを応援した。「復活」を皮切りに、その公演は好評を続けた。だが運命は悲しく、抱月を死の谷に奪い去った。抱月のいないこの世に何の意味があろう。須磨子は自ら抱月の後を追ったのである。
松井須磨子
島村抱月
夫人伊都子
娘邦子
伊都子の母ちか
水島哲夫
大久保博士
長尾晩鐘
清住曙光
福原圭介
平井陽三
春田史朗
戸塚京子
高浜広雄
倉本源四郎
倉本壽一
楽屋番平助
小林春吉
三味線弾き
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