藤田進
野中至
「幸福への招待」「九十九人目の花嫁」「大学の門」の筈見恒夫製作、人間に連載された橋本英吉の原作を「愛よ星と共に」の八田尚之が脚色した。演出は「かけ出し時代」「ぼんぼん」の佐伯清。撮影も「かけ出し時代」「ぼんぼん」の鈴木博が担当した。配役は「かけ出し時代」「誰か夢なき」「リラの花忘れじ」の藤田進に「かけ出し時代」「女だけの夜」「誘惑(1948)」の原節子が相手役、これに大河内傳次郎その他が加わる。
明治二十七年の事である。気象学に大きな意義を見出した野中至は、ものの怪につかれた如く富士山に登る。山をわが家と心得ている強力達もあきれ返る馬力であった。彼には大きな目的があった。富士山頂における冬期気象観測である。だれが考えても無茶な企てである。前人未踏の真冬の富士山頂で困難な観測をやる。バカな計画というより気狂いじみた話だ。野中至はそれを強行しようというのだ。既に彼は死を決していた。妻の千代にも無論打明けてない。ただ気象台の技師和田博士にだけはひそかに洩らしていた。いささか無茶だとは思ったが、野中の気質を知っている和田技師は、この計画の気象学に及ぼす大きな影響を考えて野中を激励していた。成功したら素晴しい事に違いない。冬が訪れ、白雪の富士山にいどむ野中至の不屈の面魂が見られた。何回も失敗した。凍りついた雪はだは人を寄せつけなかった。しかし野中は屈しなかった。測候所の設計、登山靴の改良に万全を期し、再三再四の攻撃を敢行した。妻の千代は夫の必死の思いを見抜いた。自分も連れていってくれと申出た。野中は言下に拒絶した。子供の園子をどうするんだ。子供の事をいわれると、最早それ以上千代にはいえなくなる。野中は遂に頂上を極めた。猟師與平次、その息子の五郎、その他強力達の力にあずかるところも多かった。氷点下数十度の極寒と闘いながら観測が始まった。不屈の意志と、無限の体力を要する仕事であった。如何に野中といえど、体力に限りがあった。計器を読みとる彼の目はかすんで来た。生命の灯が今やかすかに燃えているだけだ。この時、和田技師以下に伴われて妻千代が頂上にたどりついた。二人の観測が始った。交代でやった。足がむくんで来た。脚気だ。視力も弱って来た。最早長くない生命だった。二人の愛情だけが極寒と闘っていた。遂に二人とも倒れた。しかしこの長期観測の結果が日本の気象学に与えた貢献は偉大なものであった。
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