藤川豊彦
竜ノ口
「馬車物語」の伊藤基彦のプロデュースに、原作は現在追放中の中河與一の小説「天の夕顔」の映画化、脚色は「富士山頂(1948)」の八田尚之である。「花ひらく(1948)」をプロデュースした阿部豊が「愛よ星と共に」ついでメガフォンをとる。カメラは「愛よ星と共に」「花ひらく(1948)」の小原譲治、主演は「花嫁選手」(東横)につぐ高峰三枝子に、相手役として土建会社青年社長である藤川豊彦が抜てきされて映画初出演をする。
雪煙をあびる原始林に遠く見える山小屋の灯、そこには遠く浮世を離れた男、竜ノ口がただ一人住んでいた。忘れえぬあき子への追想、それは竜ノ口が高等学校時代のこと、いつからとなく金曜日ごと往き帰りにすれ違っていた令嬢の姿がみられなくなった。それから三年目、友人の家の不幸の席で偶然にも、その時の令嬢あき子にそう遇した。あき子はすでに人妻となり、母となっていた。主人がフランスにいっている留守宅に竜ノ口が往ききするようになって間もなくのことだ。突然あき子から交際をたってくれといい出した。それまでは単なる友情で結ばれているとばかり思っていた竜ノ口は離れてみて始めてあき子を愛しているのに気がついた。フランスにいる主人に愛人が出来て、いつ帰るとも望みのないあき子ではあるが、自分だけは妻として母として、節操を裏切りたくないと心に誓っていたのだ。それから二年、また五年、竜ノ口のあき子に対する慕情はつのるばかりだった。山ろくの測候所の技師として就職した竜ノ口は、許されぬあき子への恋から、のがれる唯一のさくとして、村の娘と結婚したが、田舎での動物的な結婚生活によって得たものは、竜ノ口の心には、あき子以外の何ものも存在しないということだった。そして一年で結婚生活は破れた。そうした後、東京のあき子の家を早速訪れた竜ノ口はそれでもなお、生きる限り、またあき子の心が自由になるまで待つべく、清浄な雪の中に身も心もひたして、ただ一人山小屋に入ったのである。山から二回目の訪問はそれは二人の解決のための約束の三年目だった。すでにあき子は病床にあり、成人した息子の廉太郎もあき子を許し、喜んで迎えられるはずの竜ノ口が、あき子を訪れた時は愛する人はもうこの世の人ではなかった。一生を通じて愛し続けた人を失った竜ノ口の、天のあの人に消息する法、それは夜の河原にたって花火を打ち上げることが唯一の慰めだった。
[c]キネマ旬報社