原節子
田島文子
女医常安田鶴子の原作から「待っていた象」の小国英雄が脚色した。製作は「お染久松」の滝村和男、「白雪先生と子供たち」の吉村廉のメガホンで「処女宝」の三村明がカメラ担当、配役は原節子、津山路子、風見章、中北千枝子、村瀬幸子、三宅邦子の女性陣に上原謙、河津清三郎等が出る。
国際港Y市、ここにはその設備施設を誇る“聖ペテロ施療病院”がある。ここの産婦人科部長は若く美しい田島文子医博であった。彼女は毎日の激務の間にも前々からとりかかっている心臓病の研究だけはおろそかにしなかった。というのは心臓病が彼女の宿痾になっていたのだ。ある日、二人の新任の医博が赴任して来た。内科部長の野間亀太郎と、顧問の川村信吉。信吉こそは文子とかつて言い交わした仲であった。ところが信吉は成績甚だ香しからず、それ故に文子はいたく失望して、わざと彼のところから離れ、自分自身が専心医学に突入し、遂に博士号まで得て今日に至ったのである。それは結局愛する人信吉を発憤させる為だった。が、信吉は簡単に曲解し、栄子と結婚して一子信夫まで設けている今日であった。文子の考えは全くの誤算というべく、しかもそれは余りに大きな痛手であった。計らずもその信吉と顔を合わした文子の胸中は怪しくふるえるのだった。お互いに、顔を合わせる事は苦しかった。ことに信吉は文子の真意を今でも解していなかったから。文子の仕事は激しかった。次から次へと送り込まれる施療患者、手術を要する様な重患は総て文子が手掛けねばならなかったし、又彼女とすれば自己の仕事に没入する事が、胸の奥底の苦しみから一時的にでも逃れ得る僅かな機会でもあった。テキパキと片付ける彼女の鮮やかな腕の程は、助手や看護婦達の尊敬を一身に集めていた。院内一同が一泊二日のピクニックに出かけた。文子と信吉は知らず知らずの間に道を踏み迷い二人だけになってしまった。初めてお互いは総てを話合った。そして二人共、その時期の余りに遅かったのを嘆くばかりだった。次の日から又文子は部長としての仕事に没入していった。その頃彼女の病気はもはや取り返しのつかないところまで進行していた。彼女は自分の名を秘し、ひそかに北里博士を訪れて打診して貰った。後、一二ヶ月の命脈しか保ていことが明かにされた。しかし飽くまで患者に対する責任を遂行した。重なる無理は彼女自身を遂に神の手に委ねばならなかった。枕頭に立つ信吉の眼から滂沱として涙が落ちる。
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