醜聞(スキャンダル)
醜聞(スキャンダル)
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醜聞(スキャンダル)

1950年4月30日公開、104分
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黒澤明が初めて大船に出てとる写真。映画芸術教会の本木莊二郎(「野良犬(1949)」の企画、「花の素顔」の小出孝の製作で、「野良犬(1949)」と同じに脚本は黒澤明と菊島隆三が共同で書いた。カメラは「脱線情熱娘」の生方敏夫、「真昼の円舞曲」の浜田辰雄美術、早坂文雄の音楽で、全くの偶然の瞬間が多くの人々に誤り伝えられ、ある人間はこれを故意に曲解して飛んだ醜聞が拡がって行くというメロドラマである。

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ストーリー

新進画家青江一郎は、ある日愛用のオートバイを飛ばして伊豆の山々を写生に出掛けた。三人の百姓が不思議そうな顔をして彼の絵を眺めている。そこへ美しい歌声が聞こえてくる。やがて派手な格好をした一人の女が山を登って来た。人気歌手西條美也子である。バスが故障で歩いて来たが宿屋までが大変だ、と嘆く。よろしい、それなら荷物だけでも僕のオートバイに積んでってあげましょうと、青江が申し出た。ついでの事に貴嬢も乗っけて行きましょうということになった。オートバイの相乗りで二人は宿屋まで素ッ飛ばした。百姓は呆れてそれを見送っていた。二人のカメラマンが突然宿屋に現れ、女中に西條美也子に逢わせてくれいう。西條さんは写真は撮りませんと女中は断った。二人は残念そうに宿屋の廻りをうろつき歩く。風呂に入った美也子の部屋に青江が挨拶に来る。二人は庭に面した手すりにもたれて話を始めた。その時、先程のカメラマンがこれを見つけて、パチリとシャッターを切って、シメシメと逃げてしまった。このカメラマンはカストリ雑誌アムール社の写真部員だったのである。現像を見た社長の堀は有頂天に喜んだ。こいつは特ダネだ!そこで彼は編集長に命じて、青江と美也子のラブロマンスをでっち上げさせた。新進画家青江一郎と人気歌手西條美也子の秘めたる恋。恋はオートバイに乗って!煽情的見出しでこの雑誌は飛ぶように売れた。一万部刷り、堀は図に乗って大々的宣伝をやり出した。青江一郎は仰天し、憤怒の形相物凄くアムール社に乗り込んだ。堀は馬鹿丁寧に挨拶した。その顔に青江の拳固が一発飛んだ。この事は雑誌の売れ行きを更に増した。青江は遂に訴訟問題にしようと定めた。ちょうど、ひどくはやらない弁護士蛭田乙吉がわざわざ一肌ぬいでやろうと現れたので、彼に弁護を頼んだ。彼の家はひどい暮らしをしていた。一人娘の正子は胸を病んで長らく寝たままであった。青江はこの清純な少女がすっかり好きになった。この娘の父親なら蛭田はキット正義に味方する人物だろうと思い込んだ。ところが堀は蛭田に手を廻して自分の有利に裁判を導こうと札ビラを切って彼の丸め込みに成功した。十万円の小切手が蛭田のフトコロに入った。彼は娘の正子を見る度に良心の呵責に耐えかね酒ばかり飲んだ。一方西條美也子は訴訟は取り下げてくれと青江に言ったが、彼は正義は必ず勝つんだと言い張って聞かなかった。堀の方は弁護士として法曹界の重鎮片岡博士が出馬した。裁判は開かれた。蛭田の弁護はシドロモドロで青江は反って不利になっていった。二回三回と公判は進んだ。片岡博士の論陣は明快で鋭かった。蛭田は十万円の小切手の為、言わねばならない証言さえ黙って答なかった。青江の立場はいよいよ妙な所に追い詰められていった。美也子も遂に公判に現れた。この馬鹿々々しい醜聞は是非とも消してしまわなければならなかった。そんな時、正子が遂に不帰の客となったのである。蛭田の悲嘆ぶりはひどいものであった。最終の公判に臨む蛭田の面上には今迄とまるで違う気魄が感じられた。彼は証人台に立ち十万円の小切手を取り出した。片岡博士は、自分の側の敗訴をあっさりと認めた。青江と美也子は晴れて愛情を打ち明ける仲となった。

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作品データ

製作年
1950年
製作国
日本
配給
松竹
初公開日
1950年4月30日
上映時間
104分
製作会社
松竹大船


[c]キネマ旬報社