市川右太衛門
小栗栖の長兵衛
「花嫁と乱入者」のマキノ満男製作で「こんな女に誰がした」の伊藤武郎と「花嫁と乱入者」の坪井与と協同企画「あきれた娘たち」の八住利雄が脚本を執筆。監督には「戦争と平和」「女の一生(1949)」の亀井文夫が当る。「紫頭巾(1958)」「今日われ恋愛す」の三木滋人の撮影である「飛騨の暴れん坊」の市川右太衛門と相馬千恵子が主役を演ずる外「女の一生(1949)」の毛利菊枝「花嫁と乱入者」の北見礼子「面影」以来の赤木蘭子らが助演する。
今から三百七十年程前の戦国時代、天正十年六月十三日、山崎の合戦で明智光秀は一日で羽柴秀吉に破られてしまった。その山城国小栗栖村の近くの戦場には多くの死がいが不気味に群がっていた。その中を子供たちが刀拾いをやっていたが、長兵衛もまじってここで金もうけをしようとしていた、彼はすでに村人から無頼漢の名をつけられていた。一方秀吉に破れた光秀は何処となく姿を消し村には光秀の人相書とこんな立札がかけられていた。「反逆の臣明智光秀の行方を知らせし者、銀子五拾枚、その首を持参せし者、黄金参拾枚」と。しかし秀吉は勝利に気勢をあげて村人から馬、米等を徴集していった。こんとんとした村の中にはこの時落武者が流れこんでいった。この人達をねらう長兵衛や朱実たち、彼等にはこの立札が魅力であった。長兵衛の無軌道ぶりを心配する母のおたみ、姉のおけいの顏。こんなことをよそにやがて現れた落武者を追って長兵衛は、朱実の放った鉄破と同時にその大将を射止めた。互にその功を争う二人の仲。やがて長兵衛がその首をもって秀吉の陣屋に赴くと、それが光秀であった。たちまち彼れは一躍無頼漢から英雄となってその名が四方に轟き渡った。庄屋をはじめ大騒ぎの村人たち、これを少なからず笑っている朱実、そして彼の母や姉、だがますます彼の名は有名になってしまった。ちょうどそのころ秀吉は中央集権的な封建国家の確立を目ざしていた。百姓達は次々と生活の糧となるものをうばわれて行った。そこで村人は再び長兵衛をして苦情を申し出るよう、秀吉の陣屋に赴かせて、その時だけは長兵衛に面じて軽くなった。すると隣村の者までが彼を起用せんとした、長兵衛の勢力は次第に増していった、百姓一揆を懸念した秀吉とその輩下の者たちは彼を殺そうとする。彼は怒った。しかしかごの中の鳥となってしまってどうすることも出来なくなったが、それを救ったのは平常彼に好意をもっていた朱実であった。彼女の決死の救助によって遠く街道を長兵衛と朱実が一頭の裸馬にのって駈けていった。
小栗栖の長兵衛
朱実
おたみ(長兵衛の母)
おけい(長兵衛の姉)
彦松(おけいの亭主)
お寅(朱実の姉)
庄屋富蔵
お照
羽柴筑前守秀吉
堀尾茂助吉晴
庄屋甚吉
与作
崇久
明智光秀
秀吉のお小姓
若い農夫
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