宇佐美淳也
渥美俊作
「我輩は探偵でアル」の市川哲夫の次作品、新派往年の当り狂言柳川春葉の同名の原作を「フランチェスカの鐘」の沢村勉が脚色している、撮影は倉持友一、プロデュースは石田清吉の担当、出演は「晩春」の宇佐美淳「白虎」の市川春代「真昼の円舞曲」の吉川満子「薔薇はなぜ紅い」の浜田百合子「深夜の告白」の河津清三郎「四谷怪談(1949)」の三津田健「暁の脱走」の小沢栄「我輩は探偵でアル」でデビューした紅朱実、小川芸能社長小川吉衞氏の娘で「新愛染かつら」にデビューした小川弘子などである。
昭和18年、小児科の医師日下部は親友渥美の愛児滋子の疫痢で往診を頼まれた。渥美は亡父の跡を継いでH漁業の社長となり経済的には恵まれていたが、彼の妻球江は滋子が生まれて半年ほどのころ、清岡という画家とかけ落ちをし、その後三年近くの間、渥美は老母と滋子の三人暮しをして来たのだった。滋子の病気中肉親以上の熱心さで介抱してくれた看護婦赤沢真砂子に感謝以上の愛情を覚え、哀れな滋子のために母親になってくれと頼んだ。真砂子から相談を受けた日下部は真砂子を愛していたが親友の幸福のため、真砂子のためにその結婚を祝福するのだった。ただ渥美の母岸代は家柄を口にしてこの結婚に反対して真砂子に辛く当った。七年の後、戦争は人々の運命を様々に変えた。渥美に別れた球江はその後落はくの身で北海道に渡り、軍需成金の男と結婚し戦後のどさくさに巨万の富を積んだが男はふとした病気で他界し、彼女は忘られぬ想いの東京に帰って来た。渥美は事業の手違いから差押えをうけて家財一切を競売され、悪ラツな債権者からは告訴された。夫を刑務所にとられ住む家を失った真砂子は滋子、岸代と秘書落合の家に移った。いん奔な女ながらも我子恋しさの強い念に燃えて球江は窮況に悩む渥美に援助を申し出て財力に物をいわせて再び渥美家に入り、滋子の母になろうと運動したが言下に断られ、滋子と岸代が借住居に苦しんでいると知った球代は自分の家に二人を引取って歓を尽す。昔の夢の忘れられぬ岸代はちやほやされて喜んだが滋子はどうしても球代になつかず常に真砂子をしたって泣いていた。真砂子は単身球代の家に乗り込んで滋子を返してくれと頼んだが受け附けられず、その足で刑務所に夫を訪ねて泣いて訴えるのだった。真砂子から事情を聞いた日下部が球江を詰問している時、滋子が母をしたって家出したという電報が来た、翌朝滋子を保護している警察からの報に真砂子と日下部がかけつけてみると球江と岸代が先に来ていたが滋子は球江の手をふり切って「お母さん」と真砂子の腕の中にとび込んで行った。球江は絶望に打ちひしがれ、岸代の眼にも自責の涙が光っていた。渥美の出獄の日、祝いの仕度をしている日下部の所に球江が訪れた。これから弟と共に北海道に帰るがこれを渡してくれといって動産、不動産の大部分を渥美に譲るという書類を日下部に託して行く、一目会ったらという言葉に、却って未練が残るからと立去った球江と入違いに渥美を迎えてきた真砂子、滋子、岸代などが日下部の病院に現れた。日下部から球江の来意を告げられてさすがに哀れな母球江の心に打たれて一同はすぐ上野駅にかけつけた。みながホームへとび込んだ時、車窓口には球江の涙にぬれた横顔がうつっていた。
渥美俊作
妻真砂子
母岸代
娘滋子
清岡球江
日下部正也
巻野大造
赤沢亮輔
妻貞子
次女志津子
[c]キネマ旬報社