人生選手
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人生選手

1949年12月6日公開、105分
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井上友一郎の原作を「野良犬(1949)」の菊島隆三が脚色し「愛染草」の大映監督田中重雄が演出する、撮影は「忘れられた子等」の安本淳、音楽は「薔薇はなぜ紅い」の鈴木静一、照明秋山清幸、録音矢野口文雄、美術加藤雅俊の担当、プロデュースは「深夜の告白」(竹井諒との共同)の筈見恒夫。出演は「花の日月」の小林桂樹「石中先生行状記(1950)」の堀雄二「花の素顔」の月丘千秋「帰国」の藤田進、花井蘭子「野良犬(1949)」の清水将夫「どぶろくの辰(1949)」の河津清三郎のほかに小堀誠、浦辺粂子、杉山美子、江川宇禮雄、鮎川浩、汐見洋、堀越節子など、なおアナウンサーとして和田信賢、竹脇昌作が特別出演する。

ストーリー

曽木信彦と立花保夫は共に北信中学時代の親友で野球選手として活躍し、今は大学に進んで信彦はU大、保夫はB大と六大学の花形となり敵味方に別れながらも親交は続き、休暇には母校に帰って後輩にコーチをしたりしている、そして信彦の妹麗子と保夫は幼なじみでもあり、今は互いに思いを寄せ合っていた、しかしその後のリーグ戦U大対B大の決勝戦での不測の事故は二人の間に深いミゾを造ってしまった2対2で9回の裏、ワン・ダウン、ランナー二塁で迎えたU大のバッターは信彦、B大で投げるは親友保夫、ワン・エンド・ワンの後保夫の球を発止と打った信彦、一、二塁間を襲ったゴロを一塁手がとり、信彦と競争のように一塁をカバーした保夫は足をからませ転倒する、セーフである、その間に二塁のランナーは本塁について遂に勝敗は決した、一塁カバーした時保夫は信彦に右手の中指をスパイクされる、保夫は一時の興奮からその傷を放っておいた為に悪化してボールを握ることが出来なくなってしまう、信彦はそれを父親から始めて聞いてがく然として保夫を見舞うが彼はカッとして保夫姉妹を追い帰してしまう、ドン底に突き落されてしまった感じの保夫は学業を捨て、郷里に帰り従妹の千代子と共に父親の理髪業を手伝っていた、そのころふとラジオのニュースで聞いたのはU大の曽木信彦がプロ野球団紅翼軍入団の契約に調印したことであった。生来負けずぎらいの強い保夫が動かぬ指を使いながら何とかボールを握れるように死物狂いの練習を始めたのはその後すぐのことであった、紅翼に入った信彦はメキメキ腕を伸ばして今はチームの至宝といわれるまでになった、その彼を常に激励してやるのは同じ中学の先輩風間であった、彼は三十九歳の年も手伝って今はさびしく引退の時機を考えているのだった、信彦の活躍を追うように保夫の再起はめざましく、同じプロ野球で紅翼の敵手である黒鷲軍に見事入団した、プロ野球に入った二人が初めて相見る日、紅翼のバッターに立った信彦は保夫のものすごいビーン・ボールにひっかかって三振を喫し、その後も遂に打ち得ず、試合は2対0で黒鷲の圧勝となった、次の両軍の試合の日、七回まで進んで3対3の同点、紅翼の攻撃でワン・ダウン、フルベースとなった時、黒鷲のピッチャーは保夫に交代し、紅翼では信彦に代ってピンチ・ヒッターに風間を起用した、口にこそ出さないが引退を心に決した彼の最後のボックスである、大きなファウル・フライを打たれたあとの第三球、ビーン・ボールをねらって投げた物すごいボールは風間の頭に真向からぶつかって彼はこん倒する、妻とし子と愛児正一にみまもられながら退場する風間の担架にのった痛々しい姿を見て保夫のコントロールは以降全く決らなかった、保夫に会ってその非をなじる信彦は「プロの野球は真剣勝負だ、勝ちさえすりゃいいんだぞ」と言い放つ、しかしそれからの保夫は以前の鋭さを全く失ってしまっていた、子供の顔をみると泣き叫ぶ正一の顔にみえて何も判らなくなってしまうのだった、それに悩んで保夫は再び郷里に静養に帰った、信彦もそのころ職業選手のあり方に疑問をもって苦しんでいたが父親の説得で遂に目ざめ、野球を趣味のように考えていた態度を改めて生活の為に野球をしようという考えを固めて行った、風間からの暖い意見に気持も直った彼は立直りも早く、保夫も心機一転して二人が再びグラウンドに見える時は来た6対5で紅翼の勝ったグラウンドで信彦と保夫は強く手を握り、麗子は愛の眼差しで保夫をみつめていた、風間も傷いえて紅翼の助監督になって一生を野球に送るという。

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作品データ

製作年
1949年
製作国
日本
配給
新東宝
初公開日
1949年12月6日
上映時間
105分
製作会社
新東宝


[c]キネマ旬報社