脚本、演出
「教室の子供たち」の姉妹篇で、こんどは「児童画を理解するために」という傍題があるように、図工教育を通じて子供たちの創造力をどのようにのばすか発展するかを、前作同様の盗み撮りでとらえた部分色彩の半自主作。一般向。
ストーリー
前年四月より東京江東の一小学校の一年生の教室にカメラを持込んで製作日数は十ヵ月からかかる。つまり画面におどる子供たちは図画の最初の時間からカメラが前におかれたのだから(おそらく図画の時間というものは、なんと賑かなものだろうとは思ったかもしれないが)あの二年生を扱った前作「教室の子供たち」よりも一層のびのびとふるまう。 そして最初から自宅同様にかきなぐる子、他のものがどうするかをながめ廻す子もいるが、ただ一人、最後まで白紙のままの子もある。日数がたつと描く絵にも個性のめばえがみえてくる。五月、かけっこでおくれて泣いた女児、田川さんは直後の図画では筆づかいもはげしく紫色でかこんだ赤い花を描くが、その裏面にはさわやかな花をかき気持の変化がわかる。六月になって先生は保存した絵を整理してみる。五週間もつづけて家の絵ばかりかいた町野君は、その家へいってみたらアパートの一室にくらしていた。思わずシュンとする。またいつもるす番をさせられてるこの子は、親クジラの乳をすう子クジラの絵をかくが、自分もあまえたいらしい。しかし他の子供たちが描く戦争画やオバケの絵は何を意味するかは不明だ。 七月、自分の心をすなおに表わせるネンド細工があると、口々に何かつぶやきながら夢中である。だんだん自力がためしたくなって大きな黒板にみんなで勝手にかく黒板画が喜ばれるが、それでケンカして負けた子の絵もある。八月の一同は川にあそぶが子供の空想では小川も海となって夢はひろがる。十月、初めて絵具をつかう。動物園の見学もあって、いろいろな動物画となり、そこには心身の成長がみられるが、いろいろな色彩をつかいながら子供の絵にはふしぎなまとまりがあるという。最後は自分の面白いと思ったことをという先生の出題で描く。