テンゲル
バヤンボルグ
モンゴル古謡に誘われるように、許婚を探しに故郷へ帰った青年を描いた一編。監督は「黒い雪の年」「香魂女」など第4世代の旗手として活躍するシェ・フェイ。脚本は、回族出身で理想主義の作家として知られるチャン・チョンチーが82年に発表した『黒駿馬』を自身で執筆。キャストは原作をいかすため、主演・音楽を担当した有名歌手のテンゲルをはじめ、すべてモンゴル人で固められ、言語はモンゴル語と決められた。撮影はシェ・フェイとは「蕭蕭(シャオシャオ)」で組んだフー・シンチョン、 美術は「黒い雪の年」「おはよう北京」のリー・ヨンシンがそれぞれ担当。共演はナーレンホア、モンゴル共和国の人間国宝級の女優タリカスーロンほか。中国映画祭96で公開。
モンゴル。幼い頃母を亡くし、父親が都会に赴任することになり、バヤンボルグ(ハシアアルトン)は、草原に暮らす遠縁のおばあさん(タリカスーロン)に養子としてあずけられた。60を過ぎながらおばあさんは、何十年もの間自分や他人の子を育てていた。ソミヤー(ウェンターリーヤ)もそこにいた。バヤンボルグはすぐに草原生活になじみ、牧畜の仕事を覚えた。吹雪の夜。彼は母馬と生き別れた子馬を見つけ、おばあさんは馬をガンガンハラ(美しい黒い馬)と名付けられた。月日が経ち、バヤンボルグ(テンゲル)は町の獣医学校に8か月の研修に行くことになった。おばあさんの勧めで、幼なじみのバヤンボルグとソミヤー(ナーレンホア)は許婚となった。研修の後、3年間音楽学校で学び、大学進学を勧められながら、彼はソミヤーと結婚するため草原へ戻った。しかし、ソミヤーは遊び人のシャラー(チーリークラサイハン)の子を身篭っていた。失望と怒りのあまり、シャラーを殺そうとする彼だが、おばあさんに止められ、彼はそこを去る決心をする。見送るソミヤーとおばあさん、そしてガンガンハラを振り切り、バヤンボルグは草原を去った。13年後。今は有名歌手になったバヤンボルグは、ソミヤーの家を訪ねた。彼を迎えたのはツェツェークー(アーチーアルター)という12、3歳の少女。彼女はソミヤーの私生児だった。彼女は「わたしのお父さんはガンガンハラという馬に乗ってやってきてモンゴルの歌を歌ってくれる人」と母に教えられたという。「あなたは私のお父さん?」と尋ねられ、彼は言葉を返せない。久しぶりに会ったソミヤーとバヤンボルグは夜明けまで語り明かす。おばあさんは臨終まで彼のことを偲んでいた。彼女が亡くなり、遺体を運んでいるときにガンガンハラも死んだ。その時助けてくれたのが、ソミヤーの今の夫で、彼がソミヤーを連れて町へ出たのだった。バヤンボルグは子供たちに囲まれる彼女におばあさんの面影を見た。別れ際。「あなたに子供ができたら、私のところへ連れてきてね。私は子供と離れたら生きていけないの」と、ソミヤーはバヤンボルグに言った。
バヤンボルグ
ソミヤー
おばあちゃん
少年時代のバヤンボルグ
少女時代のソミヤー
ツェツェークー
ダワーサン
シャラー
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