母なる証明|MOVIE WALKER PRESS
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母なる証明

2009年10月31日公開,129分
PG12
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「殺人の追憶」のポン・ジュノ監督が、兵役から復帰したウォンビンを起用したミステリー。殺人事件の容疑者にされた息子を救おうと真犯人を追う母親の姿を描く力作だ。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

ある日、静かな街で凄惨な殺人事件が発生する。事件の容疑者としてトジュンという青年が浮かび上がり、彼は身柄を拘束される。だが、無実を信じる母親は息子の疑惑を晴らすため、真犯人を探すべく奔走することに。

作品データ

原題
마더
映倫区分
PG12
製作年
2009年
製作国
韓国
配給
ビターズ・エンド
上映時間
129分

[c]2009 CJ ENTERTAINMENT INC. & BARUNSON CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED [c]キネマ旬報社

映画レビュー

3.7
  • ひろちゃん

    4
    2010/10/23

    相変わらずに、最近の韓国映画は好調である。
    興行的にも、既に日本の興行では、安定したものを示しているが、
    作品的のも「チェイサー」と合わせて、最近のレベルの高さを誇る品質の
    高さである。

    そんな中でも、ボン・ジュノ監督は、作品的にも良質であるだけでなく、
    興行的にも成功している稀な監督である。
    古今東西(特に最近は)、これが出来そうで中々出来ないものである。

    今回の作品は、ジュノ監督作品の中でも、「殺人の追憶」と同系統な作品である。
    「殺人の追憶」と同じく、今村昌平の作風に似ている。
    日本人は、日本映画の巨匠たちの継承者が少ないのに、海外の方が
    日本映画の巨匠の良さを継承しているのが不思議である。

    今回も、表のストーリーである殺人事件の調査が、
    「見えそうで、見えない」演出方法が、ミステリ映画として、観客に
    満足を与える。
    事件の見せ方を、間近で途中までの寸止めであったり、視点を変えて描く。
    ヒントも、台詞では無くて、資格に訴える手法が上手い。

    溺愛する息子に為に、母の猛進ぶりが、ぐいぐいと謎に迫っていく様も
    ミステリ映画として、成功している。

    もうひとつのテーマの、その母性の深い陰に秘めた、人間の深い探求が凄い。
    (この辺が、今村映画と似ている)
    オープニングの、淡々と煎じ薬の作業をしながら、息子の危ゆい行動を
    じっとみる視線で、その関係を描いてしまう凄さがあるシーンである。
    じょじょに明かされる、溺愛母と精薄息子に、関係の秘めたる謎が、
    (性も含めて)どんどんと明かされて内面に迫る不気味な人間模様が
    描けている。

    更に、この映画では、「狂気」と「犯罪」の関係の描き方も
    とことんであり奥深い。
    容疑者である息子の精神病ぶりと被害者の女の子の精神病であるのも
    この映画の特徴であるが、それを利用して、犯人自供させる警察、
    母の狂気、友人、容疑者、被害者の祖母などの狂気を見せる。
    単純な狂気だけでなく、母性の狂気、一般人の中にある狂気、警察の狂気
    などなど、ジュノ監督は、単純には終わらせないでとことん探究していく、
    様が見事である。

    母の捜査でみせる、雨の街、夜の街、何もない田舎の風景を取りながら、
    母の心の変化も映像化するのも見事であった。
    荒野を歩く母親が印象的であった。

    ジュノ監督の特徴は、リアル韓国人的な顔の役者を使って
    よりリアルさを出している。(常連のソン・ガンホも決して美男子ではない
    韓国顔であるし)
    今回の母役のキム・ヘジャも完全なるおばさん顔であるし、
    韓流スターであるウォンビンも役で精薄者にして弛緩した顔で
    演技をさせる。

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  • 加藤

    4
    2010/9/3

    息子を守るためトジュン母のつけた炎を連想さすような西日が強く差し込むバスの中、「親孝行ツアー」に参加している(つまりプレゼントされた)愛された多くの母たちが、しかし隔離されて、なにかを「忘れて」踊り狂う。

    つまるとこ、それは子への愛ゆえの罪を、その恩を享受した子によって断罪されるのを、それが「母」の役割であると(本能的にも)知り、しぶとくたくましく「リセット」して日常を装っている。

    装う日常という点でいえば、冒頭にひとりでトジュン母は踊っているのだけれど、終盤おなじ草原に来るのに踊らない、違う時間であったことが示されるというのは、早くも初めから母の日常は(罪を隠す/なかったことにするという意味で)装われていて、ってことはそれは、「いつだって」母はそうやって生きているということ。そして「いつだって」装われることは、もはやそれが彼女たちにとっての「日常」なのだよね。

    トジュン母は「真犯人」に母がいないと知って泣き崩れたけれど、母を持たない男はある意味「母たち」による「日常」の追求、の犠牲者なわけで、それを<自分の子だったかもしれない>性からの心苦しさ、つらさ、「母たち」のひとりとしてワンオブ「息子たち」を救えなかった思いがあるのだけど、それをカメラ引きまくってガラス何枚も越えたむこう(もとい、こっち)から撮るなんて結構シビアだね!
    とはいえ、カメラがクールなこっち側視点なのは監督が男であるからで、ここで「母」に寄り添っちゃったら変に同調した変な映画になるとこだったと思う。突き放す視線(ってああ、これもひとりの子による断罪的)。

    これが母と娘の話であったら反発だとかなんだとかで、こうも行かないのだろうなあ。

    男性が見るのと女性が見るのではやっぱり感じ方も変わってくるでしょう。
    「母」と「母になるもの」、は見て損はないと思う、というか、ある意味理想・の愛に思いを馳せてみたりね。

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    ネタバレあり
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  • 馮美梅

    3
    2010/3/14

    母親というものは子供に対して死ぬまで心配であ自分が何とかしてあげなければと思うものなのか、それが障害を持つ子供であればなおのことなのか…。

    悪い友人とつるむ息子(とはいえ本人はそんなことみじんも感じていない、自分をかまってくれる存在が母親意外の唯一の存在が彼だから)を心配でならない母親だがある日息子が殺人犯の容疑者として逮捕される。

    自分の息子の無実を証明するために奔走する母親だが、絡まった真実の糸が少しずつほどけていくとそこには違う事実が見えてくる。

    障害を持つ息子を不憫に思う自分と両親が死んで祖母と2人暮らし。そんな祖母は痴ほう症でマッコリばかり飲んでいるその姿を不憫に思う被害者の境遇を自分と重ねただろう。

    そしてついにたどりついた本当の事実を知ったとき、証明をするために母親が起こした行動とはあまりにも衝動的で…

    結局新しい犯人が捕まるがその子もやはり普通の子ではなく息子と同じような自己判断ができない、そしてさらに天涯孤独だということで不条理な世の中に憤りを感じながらも安堵する。

    しかし息子はいつこの事実を思い出すのかという恐怖と痛みを持ち生きていかなければならないこの親子がどうなっていくのか…

    事件は解決したけれどその証明はどうだったのだろうか…

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