ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者
ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者
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ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者

2010年7月3日公開、90分、ドキュメンタリー/社会派
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日本で被爆し朝鮮に帰国した女性の姿を通じて、放射線の後遺症の苦しみ、在朝被爆者の怒りと悲しみを描き出すドキュメンタリー。日朝関係が最悪だった2008年から2009年にピョンヤンでのロケを行い、外国メディアにほとんど許可されていない場所での撮影を実現させた。監督は、「アリラン峠を越えて」の伊藤孝司。

ストーリー

朝鮮民主主義人民共和国の首都・ピョンヤンで暮らす李桂先さんは、極端に弱い指先の皮膚を守るため、二重にしたゴム手袋で皿を洗う。素手ではすぐ出血してしまうためだ。髪の毛がすべて抜けてしまったこともあるが、それらは広島で被爆したことが原因だと桂先さんは言う。桂先さん一家は、広島市から約27キロメートル離れた大竹市で暮らしていた。1945年8月15日、日本は敗戦する。朝鮮へ帰国するための手当てが出るという話を聞いた桂先さんの母親は、桂先さんを連れて広島市内に行く。原爆投下から12日目の広島市内は、まだ残留放射能で汚染されていた。桂先さんと母親は被爆してしまった上、手当の支給の話はデマだった。一家は帰国を諦め、日本で厳しい生活を送ることになる。桂先さんは大学進学を希望するが、一家の経済力では難しかった。そのころ始まった朝鮮への帰国事業で、桂先さんは大学進学のために朝鮮へ渡る。桂先さんは結婚後、健康状態が悪化していく。2004年、母親が広島から訪ねてくる。桂先さんが病に苦しむのを見た母親は、広島市で被爆したことを告げる。母親がそれまで被爆したことを黙っていたのには、深い理由があった。桂先さんは被爆したときの様子を詳しく知りたいと思うが、日本政府の制裁によって日朝間を行き来していた船は運行停止になる。日本とピョンヤンで離れて暮らす母親と桂先さんは行き来できないまま、お互いの健康を気遣い続ける。そして誰も予想しなかったことが起こる。

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作品データ

製作年
2009年
製作国
日本
配給
ヒロシマ・ピョンヤン制作委員会
初公開日
2010年7月3日
上映時間
90分
製作会社
ヒロシマ・ピョンヤン制作委員会
ジャンル
ドキュメンタリー社会派


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