監督、プロデューサー
高度経済成長期に大きな社会問題となり、公害防止法制定のきっかけとなった日本四大公害の一つ“四日市ぜんそく”と患者たちによって提訴された公害裁判。現地の様子を長年記録してきた澤井余志郎さんと原告の1人である野田之一さんを中心に、四日市ぜんそくの歴史と実態を追い、今やるべきことを問いかけるドキュメンタリー。
ストーリー
“四日市ぜんそく”の発生地、三重県四日市市磯津。82歳の澤井余志郎さんは1966年からこの町に通い、公害の記録を続けている。四日市は人口31 万人、三重県最大の都市であり、海辺のコンビナート地帯には300 本の煙突が林立する。55 年前、三重県と四日市市が軍需工場の跡地に石油化学工場を誘致するが、その工場が排出する亜硫酸ガスによってぜんそく患者が発生。1967年9月には野田之一さんたち磯津の患者9人が企業6社を相手に裁判を起こす。澤井さんの協力もあって、5年に及ぶ裁判の結果、1972年7月に原告勝訴。損害賠償に加え、企業に対して公害対策を義務付けた結果、大気中の亜硫酸ガスも環境基準をクリアするまでに減少した。これと前後して1971 年9 月、ぜんそくの子供を持つ母親など100 人が原告団を結成。公害の発生源そのものの撤去を求める第二次訴訟が動き出したものの、金銭交渉へと切り崩され、“青空を取り戻す裁判”は幻に終わる。1973年、公害病認定制度が成立。2010 年11 月現在で四日市市の公害病認定患者は459 人、このうち磯津地区の患者は63 人である。1988 年、経済界の圧力によって認定制度は廃止され、以後、公害病認定は行われていない。新たな認定患者はゼロとなり、公害病認定患者は死亡減少という形で徐々に数を減らしている。だが独自調査の結果、600 世帯ある磯津地区では10 世帯に1 世帯がぜんそく患者を抱えている事実が判明。2010年夏には、四日市港ナイトクルーズが就航し、新しい魅力をPR したいと意気込む四日市の政財界は公害を過去のものと捉えている。澤井さんは、日本の公害対策のエポックとなった四日市公害裁判を企業や行政、住民が忘れ去ること最も危惧している。コンビナートはまだ磯津の対岸に存在している。澤井さんは今もなお、関心と監視を継続しなくてはならないと記録を続ける。
スタッフ
監督
鈴木祐司
ナレーション
宮本信子
撮影
塩屋久夫
音楽
本多俊之
編集
奥田繁
音響効果
柴田勇也
CG
小清水幹也
アソシエイト・プロデューサー
安田俊之
音楽プロデューサー
岡田こずえ
水中撮影
森恒次郎
水中撮影
岩井彰彦
水中撮影
神辺康弘
スクリプター/記録
河合舞
題字/タイトル