ラジオ体操を拒否して会社を解雇されたことへの抗議として、約30年に渡り勤務先の前でプロテストソングを歌い続けている男性を追ったドキュメンタリー。監督は、「フィリピン、私のフィリピン」のマリー・デロフスキー。山形国際ドキュメンタリー映画祭2009正式出品、カナダ国際労働者映画祭2009グランプリ受賞。
ストーリー
1981年6月29日、東京の大手電機会社に勤めていた田中哲朗さんは、毎朝のラジオ体操を拒否したために解雇された。それから30年間、毎朝、彼は抗議のために会社の前でプロテストソングを歌い続けている。解雇の主な原因は、遠隔地への人事異動、いわゆる左遷人事に従わなかったことだが、その背景には、会社の毎朝の日課であるラジオ体操の存在があった。当時の田中さんは会社のマンドリンクラブの部長として活動しながら、会社の整理合理化によって大量解雇された1350人もの元従業員を支援していた。会社は新しい社長を迎え、社員の意識改革の一環として大々的なリストラを敢行し、給料が支払われない始業前のラジオ体操を導入する。ラジオ体操は従業員の忠誠心を試すものだと考えた田中さんは、批判的態度を示すために体操を拒否した。そのうち彼の給料は次第に減額され、会社の同僚からも無視されるようになる。マンドリンクラブの仲間も離れていき、クラブ自体が危険集団視されたため、新たに加入する者もなかった。それでも田中さんは会社に対する批判を続け、職場の労働組合の役員選挙で会社が支持する候補と争う。会社は田中さんに何百キロも離れた工場への異動命令を出すが、彼は承服しなかった。その結果、彼は解雇された。田中さんはその翌朝から勤務先だった工場の正門前に立ち、現在も続く長い抗議活動を始めた。