監督
東日本大震災発生直後の2011年3月26日に、福島第一原発近辺や津波の被災地を訪れ、その様子を記録したドキュメンタリー。取材を行なったのは、作家で映画監督の森達也、映像ジャーナリストの綿井健陽、映画監督の松林要樹、映画プロデューサーの安岡卓治の4人。取材する自分たちにもカメラを向け、メディアの姿勢をも問う。
ストーリー
東日本大震災発生から15日後の2011年3月26日。放射線検知器を搭載した車で、映画監督・作家の森達也、映像ジャーナリスト・綿井健陽、映画監督・松林要樹、映画プロデューサー・安岡卓治の4人が被災地に向かった。福島第一原発から150km地点で車内の線量計のスイッチを入れると、あっという間に東京の数十倍に上る1.23マイクロシーベルトを記録。50km圏の三春町で会った双葉郡出身の25歳男性は“津波と地震だけなら、もう復興は始まっている”と言い、東京電力の恩恵についても“東京電力のお陰で街は発展した”と語った。翌日、一行は浪江町方面へと向かい、屋内退避勧告の出ている20~30km圏内の町で集会所の様子を窺うが、人の気配はない。車に引き返すと衣類を脱がなければならないが、脱ぐ最中にも被曝する。その間、ドアを開け放した車内の線量も上昇。曖昧な取材姿勢、不十分な装備を自覚し、福島の取材を断念して津波の被災地へ。陸前高田市では、消防隊員に行方不明者捜索の実態を取材。余震が続く中、大船渡市、仙台市市街などで自衛隊や病院関係者が活動を続ける一方、避難所になっている石巻高等学校では開業したばかりの理容室を発見。津波に襲われた石巻市の大川小学校では我が子を見つけられない人たちや遺体確認に来た親の姿が目に止まる。自力で我が子を探そうとする母親たちの口からは、子どもたちを救えなかった自責の念が滲み出る。遺体発見の模様を撮影していると、遺族の一人から角材が飛んでくる。遺体にカメラを向けられたことに対して、不快感と不信感を露わにするその男性と、傷つけていることは申し訳ないが、撮影はやめないと主張する森。安岡は、“この取材はドキュメンタリー映画の制作である”と男性に告げる。それはまるで、無目的な現状確認の取材だったこの旅が、伝えるべきものを得たと証言するかのような言葉だった。