監督、編集
東日本大震災を発端に、福島第一原発北西40キロの飯館村から避難したある家族と、警戒区域で300頭の牛を飼い続ける畜産家を中心に、住民たちの日常を追ったドキュメンタリー。「忘れられた子供たち スカベンジャー」を監督した四ノ宮浩が、2011年4月下旬から12年12月まで現地取材を続けた記録をまとめた作品。
ストーリー
“日本一美しい村”と呼ばれた飯館村は、原発事故後に放射線量が高くなり、4月下旬には全村避難の政府命令が出された。大量の放射能汚染により、農家、酪農家には作付制限や出荷制限が行われ、風評被害も発生。その中で、住民たちは収入の道が閉ざされるとともに、一家がバラバラになることを危惧する。乳幼児のいる家庭は早くから避難していたものの、放射線自体が目に見えず、影響がわかりにくいものであることから、住民自身も混乱していた。また、放射線量が村で最も高い長泥地区の住民の1人は、東京電力、政府の情報の遅れにより、避難できずに被曝させられたと怒りを露わにする。高橋さん一家は、建設作業員の正夫さん、フィリピン人の妻ヴィセンタさんを中心に子どもたちとおばあちゃんを含めた6人家族。岩部の集落で慎ましく暮らしていたが、5月末に川俣町へ避難することになった。その直後、相馬市では原乳の出荷停止で事業が継続できなくなった酪農家が、遺書を残して首を吊った。壁には“原発さえなければ”との殴り書き。原発から20キロ圏内の取材許可が下りた8月。ある牛小屋では、取り残された牛が骨と皮だけになって餓死していた。しかし、原発から北西14キロの浪江町の牧場では、畜産農家の吉沢さんが“意地のようなもの”と語って300頭の牛の飼育を継続。その後、東京電力に抗議した吉沢さんは、交渉を繰り返した結果、5億円の賠償金を受け取った。2012年6月、高橋さん一家の元を再び訪れると、ヴィセンタさんは仕事を辞め、夫の正夫さんは職場で事故に遭い、半身不随で入院していた。全村避難からおよそ1年が経った飯館村では除染が開始。最も放射線量が高かった長泥地区はバリケードで封鎖され、5年間帰ることができない。放射線量はほぼ変わらず、除染作業をする作業員は防護服に身を包む。そして、7月11日に大飯原発が再稼働した。