監督、撮影
アフガニスタンとパキスタンで35年に渡り病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続け、2019年にアフガニスタンで凶弾に倒れた医師・中村哲の足跡を辿るドキュメンタリー。21年間継続的に記録、これまでテレビで伝えてきた内容に未公開映像と現地最新映像を追加した。監督・撮影は、これまで世界70ヶ国以上で取材、撮影・プロデューサーを務めた『武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~』(2018/NHK)がドイツのワールドメディアフェスティバル金賞に輝くなど、多数の作品を手がけ高い評価を得る谷津賢二。俳優の石橋蓮司が朗読を、ナレーターの中里雅子が語りを担当する。
ストーリー
アフガニスタンとパキスタンで35年に渡り病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた医師・中村哲。1984年、パキスタン北西辺境州(現カイバル・ パクトゥンクワ州)の州都ペシャワールのミッション病院ハンセン病棟に赴任し、パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療を始め、その傍ら難民キャンプでアフガン難民の一般診療に携わる。1989年よりアフガニスタン国内へ活動を拡げ、山岳部医療過疎地でハンセン病や結核など貧困層に多い疾患の診療を開始。専門は神経内科だが、現地では内科・外科もこなした。中村の誠実な人柄が信頼され、順調に医療支援が進んでいた2000年、アフガニスタンで大干ばつが発生し、渇きと飢えで人々は命を落とし、農業は壊滅。医療で人々を支えることに限界を感じた中村は、大河クナールから水を引き乾いた大地を甦らせるため、用水路の建設に着手する。専門家がいないまま戦闘ヘリが飛び交う戦火の中で始まった前代未聞の大工事は、数々の技術トラブル、アフガン空爆、息子の死など、苦難に次ぐ苦難の道のりだった。中村はひとつひとつ苦難を乗り越え、7 年の歳月をかけついに用水路が完成した。現地住民らで運用できるように、複雑な機械を使わず、日本の江戸時代の技法を採用。用水路が運ぶ水で荒野は広大な緑の大地へと変貌し、いまや用水路は65万人の命を支えている。しかし2019年12月4日、さらなる用水路建設に邁進する中村だったが、アフガニスタン・ジャララバードで何者かに襲撃されこの世を去り、その突然の死は多くの人々に深い悲しみをもたらした。中村が命を賭して遺した物は何なのか、その視線の先に目指していたものは何なのか。戦火のアフガニスタンで1998年~2019年の21年にわたり継続的に記録した映像から、これまでテレビで伝えてきた内容に未公開映像と現地最新映像を加え、中村哲の生き方を追う。
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