ウィリアム・ファーナム
Jean_Valjean
仏の文豪ヴィクトル・ユーゴー氏が国外へ追放されて居る時、1858年より1862年迄の5年間を瞑想と思索とに費して完成したのがこのレ・ミゼラブル(惨めなる人々)である。熱烈なる共和党員なる父より生れ、追放令を受けた老将軍と還俗した老牧師との家庭教育を受け、詩人としてはロマンティック運動の主将であり、政客としては民主派であり、主義よりも寧ろ熱情の人であった彼ユーゴーの脳裏に、最も鮮かに浮んだ所のものは実に社会の底に呻吟する惨めな人々の姿であり、彼等を作り出した社会の缺陥であり、彼等が漂う時運の流れであた。『法律と風習とによってある永劫の社会的処罰が存在し、斯くして人為的に地獄を文明のさなかに拵え、聖なる運命を此世の不運によって紛糾せしむる間は、また賤民の一階級による男の退歩、飢餓による女の墜落、闇黒による子供の萎縮、それら3つの時代の問題が解決されない間は、また、ある方面に於て、社会的窒息が可能である間は、また、言葉を換えて言えば、そしてなお一層広い見地よりすれば、地上に無智と悲惨とがある間は、かかる物語は恐らく無盆であるまい』と作者は言っている。この人道的大作品を映画劇化したフォックス会社の『レ・ミゼラブル』が1917年暮発売されてから、吾人は深くその輸入を待った。最近日活社が巨額を投じて購入し近く公開する運びとなったのは深く喜ばしく思う所である。殊に『惨めなる且つ偉大なる男』ジャン・ヴァルジャンに扮した性格俳優の第一人者ウィリアム・ファーナム氏の真に精錬された技芸が全篇に見られるに於ておやである。氏の対的はコゼットに扮する可憐なジウエル・カーメン嬢。監督は最近ゴールドウィンに於る近作『十三号室』や『白銀の群』が紹介されたフランク・ロイド氏である。
赤貧洗うが如き百姓のジャン・ヴァルジャンは、餓に迫った姉を助けたいの一念から、せっぱ詰って一片のパンを盗んだ為、捕えられて5年の刑に処せられる。入獄後彼は自分の罪が重過ぎるとの念が絶えず、人を憎み世を呪って度々脱獄を計ったために悠々19年の春秋を獄裡に過して、放免されたのは1815年10月の事であった。刑餘の人よと世間の者から対手にされず、幾日が諸処を彷徨した後ディーニュの町へ辿りつき、ミリエル僧正の許に一夜の宿を求める。そこで、さしもに兇悪だったジャン・ヴァルジャンも、崇高な僧正の人格に打たれ、改悟してモントルーイ・スチュール・メイルの町へ行き、マドレーヌと称して新しい清い生活に入る。次第に富祐にもなり人々からも尊敬されはては、たっての勧めに市長に就任し、工場を営む傍ら慈善事業を怠らなかった。彼はある時我が工場の女工の一人ファンティーヌが聞くも憐れな事情から渝落の路に入ろうとして捕縛されたのを救って病院に入れてやる。哀れの女は今はの際に今テナルディーエの許に預けてある、我が子コゼットの世話を呉々も頼んで世を去った。頃しもあらぬ男がジャン・ヴァルジャンとして裁判されるのを聞いて彼は敢然我こそ真のジャンと名乗って出る。職務の外に目のない冷酷無情の巡査部長ジャヴェルはかねて市長をジャン・ヴァルジャンと疑っていたが、かくと聞くと早速市長逮捕に向かった。しかしジャンはファンティーヌとの約束があるので跡を晦まし逃亡する。そしてテナルディーエの許で虐待されている少女コゼットをとり返しパリへ帰って世を忍びつ平和な生活に入って10年の歳月は夢と流れた。花の様に美しく天使の様に気高いコゼットは、温い人情を持った事のないジャン・ヴァルジャンに、如何に慰めと喜びを与えた事であろう。革命に志士で貴族の子なるマリユスはコゼットと恋仲となるが、彼の祖父が許さぬので絶望の余り革命に加わって、頃しも1832年の大革命起るや、彼は銃を執って戦った。密偵として革命軍中に入込んだヂャヴェルは捕えられ銃殺されんとした時、人もあろうにジャン・ヴァルジャンに救い出される。マリユスは重傷を受けて倒れたが、ジャンは彼を救けて苦心の末彼が祖父の家へ担ぎ込んだ。途中で出逢ったジャヴェルは先刻の彼が義気に感じて彼を見逃した。やがて傷の癒えたマリユスと、コゼットとの華燭の典は挙げられる。我が任務が了りしと思ってかジャン・ヴァルジャンはやがて崇高にして而も幸少なかりし彼の一生を終えて浄き長き眠りに入った。
Jean_Valjean
Javert
Thenardier
Cosette
Cosette_(Grown_up)
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