YOSHIKIが語る、X JAPANのドキュメンタリー映画が作られた理由
1982年に「X」として結成されて以来、数々の伝説を打ち立ててきたロックバンド、X JAPAN。彼らの軌跡を追ったドキュメンタリー映画『WE ARE X』が本日、3月3日より公開。映画は14年10月11日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた公演の舞台裏を追いながら、インタビューや過去の映像を織り交ぜてバンドの歴史を紐解いていく。今回、バンドのリーダーであるYOSHIKIのインタビューが実現。本作がどのような経緯で作られることになり、制作にどのように関わったのか、話を訊いた。
まず映画を観て驚かされるのは、「ここまで描くのか」ということ。幼い頃にYOSHIKIが直面した父親の死、世界への挑戦と挫折、HIDEとTAIJIの死、さらにはバンド解散とその引き金にもなったToshlの洗脳問題…。X JAPANを襲った数々のドラマを真正面から描いており、彼らが辿ってきた道がいかに波乱に満ちたものであったのか、よく伝わってくる。そしてその道程と同じように、映画の制作も一筋縄ではいかなかったようだ。
「実は20年以上も昔からドキュメンタリーを作る話があって、色々な映像を撮りためてあったんです。きっかけは今から7、8年くらい前、アメリカの僕のエージェントに『X JAPANの映画を作るべきだ』と言われたこと。その時はまだ、ドキュメンタリーなのか、誰かが演じるようなドラマなのかも決まっていない状態でした。興味はあったのですが、最初は『無理だ』と言ったんですね」
YOSHIKIが当初「無理」と考えたのも仕方のないことなのだろう。振り返るにはあまりにも悲しく、苦しい過去があったからだ。
「X JAPANの解散時に東京ドームで行った『THE LAST LIVE』は、30数台のカメラで撮影していたにもかかわらず、しばらく映像をリリースできなかったんです。最初の5分だけで涙が出てきちゃうくらい、悲しくて見れなかったから。そんな、バンドの歴史の一部分を切り取った過去を振り返ることすらできないのに、X JAPAN全体のストーリーを描くなんて到底無理だと考えていたんです」
では、不可能だと思われた映画がなぜいま、こうして形になったのか? それはYOSHIKIがこの作品の存在に、ある意義を見出したからだった。
「『X JAPANのストーリーは人の命を救うことができるんじゃないか』『心に傷を持っている人たちに、希望を与えることができるんじゃないか』という意見を聞いたんです。そのことに心動かされ、制作してみようということになりました。ちゃんと形にして伝えることこそ、“これほどのこと”が起こってしまった僕たちに与えられた使命なんじゃないかなと。よくある音楽ドキュメンタリーのようなものは、他にもっといいバンドがいるでしょうしね」
実際に映画が作られることになっても、この途方もないストーリーを誰が撮るのか、どのように描くのかなど、問題は尽きない。YOSHIKIは映画に対して、どのようなビジョンを持っていたのか?
「最初、『多分何も語れないだろうし、自分が関わると基本ダメになってしまうから、制作には関われない』と言ったんです。ただ、プロデューサーと監督選びはさせていただいたんですね。僕が挙げた条件のひとつが、X JAPANを知らない人であるということ。先入観を持っていたら突っ込んだ質問もできないし、掘り下げることができないと思うので、バンドのことを知らない人を選ばなきゃいけないと思ったんです」
膨大な候補の中から選ばれたのは、第85回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『シュガーマン 奇跡に愛された男』(2012)のプロデューサー、ジョン・バトセックと、『ストーンズ・イン・エグザイル ~「メイン・ストリートのならず者」の真実』(2010)をはじめ数々の音楽ドキュメンタリー映画を手掛けてきたスティーヴン・キジャック監督。彼らの作品を観て映画を託すことを決めたと語るYOSHIKIは、“あること”を頼んだという。
「『ホラー映画にしないでくれ』という要望を出しました(笑)。X JAPANのストーリーというのは、一歩間違えればホラー映画になりえますから…。それに、自分がファンの人たちに救われたように、『誰かを救えるような映画にしてほしい』ともお願いしました。キーワードはそれくらいですね。あとは、監督やプロデューサーがその中でまっとうしてくれました」
こうしてメガホンをとることになった監督は、粘り強くインタビューを行い、メンバーの内面に肉薄。涙を浮かべ、言葉に詰まりながらも過去と向き合おうとするYOSHIKIの姿と想いもしっかりと収められている。
「撮影が始まった当初は僕もぎこちなくて、インタビューで過去のことをうまくしゃべれませんでした。質問されるたびに黙ってしまって、一時中断…というようなことを繰り返し、全然核心にたどり着かなかった。制作期間がとても長かったので、1か月くらい期間をおいてまたインタビューをしたのですが、ふと、セラピーみたいだなと感じて、HIDEが亡くなった当時のことを思い出したんです」
ギタリストのHIDEが急逝したのは1998年5月2日。1997年のバンド解散直後のことだった。葬儀には約5万人ものファンが詰めかけ、彼の死を悼んだ。
「映画でも描かれていますが、HIDEが亡くなった後、僕は日本に戻って記者会見を開いて『みんながんばって』とファンを励まそうとしました。しかし、ロスに帰ったら完全に壊れてしまったんですね。“もう生きていたくない”みたいな状態になってしまって、毎日のように精神分析医のところに通ってあれこれ語っていたんです。今回、撮影でインタビューを受けていたら、あの頃こうやって話していたなと思い出してきて…」
インタビューの様子を「セラピー的だった」と振り返るYOSHIKI。ひょっとしたら、心に傷を抱えていた彼自身にとってもこの『WE ARE X』は必要だったのかもしれない。
「それからは、制作の過程で語りたくないことと直面し、それを乗り越えようとする行為によって、自分が浄化されるように感じたんです。最終的には過去に通じる心のドアを全部開けてしまって、精神的に裸になった。ただし、傷を乗り越えられたわけではないと思うんですね。たぶん傷は一生消えない。だけどそれと共存していくための何かを、この映画を作ることによって見つけられたんじゃないかと思います」【取材・文/Movie Walker】