鬼才カウフマンに聞く「破天荒な発想はどこから?」
『マルコヴィッチの穴』(99)の脚本家、鬼才チャーリー・カウフマンが、『脳内ニューヨーク』(11月14日公開)で監督デビュー! 今回も独創的なワールドが強烈だ。なんと本作は、ニューヨークの街に、自分の頭の中にある“もうひとつのニューヨーク”を作り出そうとする物語だ。そんな破天荒な発想は、どうやって産まれるのか? カウフマンにインタビューしてみた。
彼が描く、現実とは違うもうひとつの世界。その着想はどこから得たものなのか? 「想像の世界からかな。よく聞かれる質問だけど、どう答えれば良いのか難しい。想像の世界と自分自身の体験からかな。僕は現実の世界を隠喩を使って表現することに興味があるんだ。サイエンス・フィクションが好きで、そういう作品を書きたいし、観る映画もそういうものが好きだ。でも、着想がずばりどこから来ているかと聞かれたら明確には分からないな」
どの作品においても、主人公は何かに苦悩しているが、その姿は自分自身を投影したものなのか? 「こういう質問には非常に注意して答えなければならない。端的に答えると、返事は“イエス”だ。でもそう言うと誤解を受けることが多い。主人公が完全に僕自身かといえばそうではない。きっとどの作家も脚本を手掛ける時、自分の考えや関心があること、自分が抱える問題について書くだろう。だから僕の映画の主人公の葛藤は、僕の体験を反映している。主人公が僕の生き写しだとは言えないけど、僕のある側面を表していることは確かだ」
カウフマン作品を観ると、人生ってうまくいかないからこそ、いとおしくも思える。その着地点は、意識して書いているのか? 「意図的なメッセージや着地点は考えてない。でも、人間が予測のつかない存在だってことは、多くの人に不安をもたらす。でもそれでいい、それが人生だから。人生とは探求するべきものだ。人生を管理したいという欲望は多くの人が持っている。でも僕自身には着地点なんてないし、結末は導きたくない。それよりも自分の中にあるアイデアを表現し、探求したいだけだ」
ということは、あえてメッセージを伝えようとしていないのか? 「そうだね。自分がその時何を考えているのか、現在の自分の問題点やアイデアを見つめることは大事だ。でもそこにメッセージはないし、持とうとも思わない。人々に何かを教えることに興味はないし、自分がその権限を持っているとも思わない。肝心なのは、自分にとって興味が持てるかどうかだ。例えば今回の作品では、人々の持つ“恐怖心”に興味があった。死すべき運命や、病気への恐怖心にね。それは歳をとるにつれて出てくる問題だし、強迫観念の要素だ。それらを探求すること自体に興味があるのさ」
常に、深い洞察力を持って、人間の性を掘り下げていくからこそ、カウフマンの映画はどこか生々しく、いろいろな五感を刺激する。決して説教くさくないのに、観終わった後に不思議な余韻を醸し出す。『脳内ニューヨーク』を観て、あなたも人生を探求する旅に出掛けてみては? 【Movie Walker/山崎伸子】