「映画は世界中の人たちに届ける力がある」マーク・ラファロが『ダーク・ウォーターズ』に託した希望とは
「世界中の人たちはいまヒーローを求めている。それは人々が、さまざまな場所で起きている不公平を感じているかだと思うのです。戦うべきものがないと思うような場所では、ヒーローは必要がない。私はこれまで空想の世界のスーパーヒーローを演じてきましたが、今度は現実世界のヒーローを演じることができて本当に最高な気分です」。
マーベル・シネマティック・ユニバースでブルース・バナー/ハルク役を演じ、その人気を不動のものにしたマーク・ラファロは、自ら主演と製作を兼任した『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』(12月17日公開)について、「私たちが生きる世界における真のヒーローがどんな姿なのかを描いた作品」と形容する。「これはアメリカ史上最大の隠蔽の実話であり、それは世界中の人々に影響を及ぼす。それなのに誰も知らないと思い、この映画をやろうと決心しました」。
1998年、オハイオ州の名門法律事務所で働く企業弁護士のロブ・ビロットのもとに、思いがけない調査依頼が舞い込んでくる。依頼主はウエストバージニア州のパーカーズバーグという町で農場を営むウィルバー・テナントという男性。彼は大手科学メーカーのデュポン社の工場から流出した廃棄物によって土地を汚され、190頭もの牛を病死させられたというのだ。裁判所に資料開示を求めたロブは、そこに記された“PFOA”という言葉を調べ、事態の深刻さに気が付く。そして彼は、7万人の住民を原告団とする集団訴訟へと踏み切るのだが…。
PFOA(ペルフルオロオクタン酸)とは有機フッ素化合物のことであり、かつてはフライパンのフッ素コーティングや撥水剤、消化剤などに使用されていた。その発がん性の高さから近年、各国で規制や根絶に向けた動きが進められるようになったが、デュポン社はその危険性を知りながら40年以上にわたり隠蔽を続けるだけでなく、自社の工場から大気中や土壌に垂れ流しにし甚大な環境破壊をもたらしたのである。「PFOAは世界中にあり、我々みんなの体の中にもある。永遠に存在し、一度体の中に入ったら二度と出ていかない。そして主要なあらゆる病気とも深く関係しているのです」。
俳優としての傍ら、環境活動家としての顔を持つラファロは2006年1月6日のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された「デュポン最大の悪夢」と題された記事を読み、心を動かされたという。「俳優としてのキャリアを考えた時、そろそろプロデューサーをしたいと思っていた時期でもありました。そこで長年環境活動家としてやってきたこともあり、両方を活かす方法を考えたのです。活動家としてできることには限界があり、届く人にも限りがある。だけど映画は世界中の人たちに届ける力がある。パワフルな方法で人間を団結させる力があると思ったのです」。
映画の力を信じて新たな挑戦に踏みだしたラファロは、さらに本作に込めた強いメッセージを力説する。「私たちは企業の利益のために決断が下されるシステムのなかで生きていると、誰もが感じていると思います。違法なことであっても、政府がそれを隠しているのだと疑うこともある。それによって被害を受けるのはいつだって貧しくて弱い立場の人たちで、それに気が付いた我々がどう対処していけばいいか選択に迫られている時期に来ているのです。私たち全員が携わり、ひとりひとりの意見が重要であり、みんなで考えをまとめて同じ方向に向かっていく。この映画で描かれるのと同じような出来事は、世界中で起きていることだと思います」。
これまで3度アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど、その実力が高く評価されてきたラファロ。本作に臨むにあたり「可能な限りロブ本人に似た人物として演じたかった」と強いこだわりを明かし、ロブ・ビロットと直接対面したうえで長い時間をかけて彼の人となりを研究したのだという。「彼の肉体的な面や話し方などを習得しようとしました。そして同時に、この人は一体なぜものすごい逆境のなかを20年間も進み続けることができたのだろうかと考え、それを理解することが本当に難しくもありました」。そしてロブと話し合いを重ねるだけでなく、いくつかのシーンでアドバイスをもらったことを振り返る。
「ロブがデュポン社のCEOに調査書類を見せて詰め寄るシーンがあります。そこで彼は相手を完全に打ち負かして辞職に追い込みたいのだと私は思っていました。しかしロブに訊ねてみると『そうじゃない』と言われたのです。『真実を見せれば相手がそれを理解し、これから正しいことをしてくれると信じていたからです』と。つまりそれは彼が一貫して守り抜いてきたモラルであり、彼がすばらしい人間だということです。その瞬間、映画でよくあるような演技をしてはいけないと思い、私の演技は完全に変わることになりました」。
そして「彼は私たちが憧れてなりたいと思うような人物だからヒーローなのではない。やりたくない、できない、なりたくないようなことをやってくれる。絶対に彼のようになれないと思うからこそヒーローなのです。彼は物欲とは真逆に、それを犠牲にしながらむしろ精神的な世界を旅している。彼の極めた道は、いかに正しいことをするのかというそれに尽きます。その時点では彼が挫折する可能性は何度もあった。でも彼は進み続けた。正義と公平がいつか勝つと信じていたから」と強い敬意をのぞかせ、「いま世界では史上最悪な人が史上最悪で自分勝手なことばかりしている。そしてそんな人たちが勝者となっている。でもそれだけが世界の真実ではないのです」と本作が描く“希望”を語った。
構成・文/久保田 和馬